天理時報2022年3月30日号6面
おたすけのためのひのきしんスクール右記QRコードから、講座の動画を期間限定で視聴することができる。性教育は教えを伝える好機ひのきしんスクール講座「家族への支援」からコロナ禍によって自宅で過ごす時間が増えるなか、家族関係の希薄さなどから、家庭内に自分の居場所がないと感じる子供たちが少なくないという。こうした子供が、性についての十分な知識を持たないまま、SNSで知り合った異性と関係を持ったり、予期せぬ妊娠に至ったりするケースがある。こうした背景から、家庭の中で親が子供と性について話す機会を設ける必要性が、より一層高まっているとされる。「ひのきしんスクール」(村田幸喜運営委員長)は先ごろ、講座「家族への支援」をオンライン開催。「子どもと性について話していますか?」をテーマに、白熊繁一氏(中千住分教会長)が座長を務め、武内正美氏(髙屋分教会長)池戸昭江氏(湖分教会長夫人)、服部徳亜氏(天理大学3年)による座談会が行われた。”心の距離〟を離さぬよう座談会の冒頭、性について子供と話すことがタブー視される、日本社会の現状について話が進められた。その中で、教会長としてさまざまな身上・事情を抱えた若者を受け入れてきた武内氏は、自分自身もわが子と性について話す機会がなかったとして、「親として、どのように子供に伝えればいいのか、分からない部分もあるのでは」と問題提起した。また、保護司や専門里親として、性の問題を抱える若者たちに親身に寄り添ってきた白熊氏は、親子が真剣に向き合うことができない現状を指摘。そのうえで、子供が成長するにつれて、親子の会話や共に活動する機会が自然と減っていったとして「日ごろから一緒にスポーツや雑談をするなどして、〝心の距離〟が離れないように意識することが大切。互いの心の距離が近ければ、人生の節目においても、大切な話がしやすくなるのでは」と語った。親神様に守っていただく続いて、現代の子供がインターネットなどを通じて膨大な性の情報にさらされている現状について話が及んだ。その中で、教会でファミリーホームを運営している池戸氏は、日ごろから子供との対話に重きを置きながら、子供が性に関することで困った状況に陥ったときには、すぐに手を差し伸べられる関係づくりを心がけているとして、自らの取り組みを紹介した。また、子供世代の代表として参加した服部氏は、子供がネット上の誤った性の情報に惑わされる機会が多いことを踏まえ、「子供と性について円滑に話を進めるためには、子供の考え方を全否定するのではなく、話に耳を傾けてほしい」と訴えた。この後、大人や教会が果たす役割についての話題に移った。武内氏は、教育において百パーセント間違いのないように子供を導くのは難しいと強調。「大切なのは、親神様に守っていただくこと。性教育と併せて、おつとめや徳積みの大切さを伝えることが大切」と話した。最後に、白熊氏は「元の理」を教えていただいている私たちにとって、性の話は〝命の根幹”とも言うべき重要なテーマであるとして、「子供たちときちんと向き合い、性の話とともに、教えを伝える努力が求められる。言い換えれば、性教育の場は、子供に教えを伝える好機でもある」と語った。なお、座談会の内容に関して参加者から質問が寄せられ、後日、出演者が回答した動画が配信された。日本史コンシェルジュ歴女〟がご案内いたします白駒妃登美社会に築いた衛生のかたちコロナ禍で、各国の衛生行政に注目が集まっていますが、日本で衛生行政を始めたのは長与専斎です。1838年(明治維新の30年に現在の長崎県大村市に生まれた専斎は、緒方洪庵やオランダ海軍医ポンペから西洋医学を学びます。二人の師は、高い技術とともに医師としての矜持を専斎に伝えました。「医術を出世や金儲けの道具に使うのはもってのほか。人は自分のためでなく、何よりも社会という公のために生きなければならない」明治に入ると、専斎はその実力が認められ、岩倉使節団に随行し西洋諸国を視察しました。そこで彼は衝撃を受けます。ヨーロッパには予防医学や公衆衛生の概念があり、政府が住民の健康増進を図る役割を担い、責任を持って感染症対策に取り組んでいたからです。帰国後、専斎はさっそく西洋をモデルにした諸制度を整えることに尽力します。「サニタリー」の訳語として「衛生」という言葉を考案し、初代内務省衛生局長として、医学の知識に裏打ちされた衛生政策を住民に届けるための仕組みを作りました。現在は厚生労働省があり、府県や政令指定都市では、保健所を通じて住民への衛生政策が進められていますが、こうした衛生行政の基礎を築いたのが専斎なのです。明治時代にはコレラが流行りましたが、現在のコロナ対策で注目されている専門家会議のように、医学的な知見を政策に反映させることにも専斎は取り組んでいます。さらに、現在は国家試験を受けて医師になることが当たり前になっていますが、この試験制度を導入したのも専斎です。それは1875(明治8)年のことでした。それから10年後、国家資格を持った、わが国初の女性医師が誕生します。埼玉三大偉人の一人、荻野吟子です。医学校を修了した吟子が医術開業試験を受けようとしたところ、女性医師の前例がないという理由で受験を拒否されたのですが、専斎の尽力で受験が認められ、見事に合格しました。ほかにも、専斎は北里柴三郎とゆきち福沢諭吉を引き合わせることで北里の研究を支えたり、名古屋で医師をしていた後藤新平を引き抜き自分の後継者としたりするなど、後進の育成に努めました。その後、後藤は台湾総督府民政局長として台湾の近代化に貢献したほか、関東大震災の復興責任者も務めています。今の私たちの暮らしがあるのは、こうしてこの国の発展に尽くしてきた無数の人々の存在があるからなんですね。混迷を深める現代社会に、感謝と希望の光を灯していきたいものです。