天理時報2022年3月9日号6面
ハートフルエピソードまんまるなんばなつこ誰にプレゼントしたら・・・自宅用にプリンターを購入!ずっと欲しかったんだ・・・そういえば最近会長さんのくださるハガキの文字がかすれていたなぁ会長さんもプリンターを新しく新品のプリンターですか?!!?!ありがうござます思っていたんです大切にせて使わますもら自分の「ほしい」よりも誰かの「ほしい」を叶えるほうがずっと晴れやかな気持ちになったこれはお隣さんも欲しがっていたから買っておこう!喜んでるかなもらえ四コマ漫画のもとになった『天理時報』(立教179年6月26日号)は、右記QRコードから読むことができます。読者のひろば使い込んだ『逸話篇』を父に匿名(40代男性)会社を経営し、仕事一筋だった父親が昨年、退職した。以来、父が住む実家を訪ねる機会が増え、父と過ごす時間が長くなった。口数は少なく、人に弱みを見せない父だったが、二人きりの時には年相応の悩みや身体の不調を相談しることもあった。最近、特に変わったことがある。お道の信仰に消極的だった父が、お道の本を読み始めたのだ。ある日、父と話していると、『稿本天理教教祖伝逸話篇』26「麻と絹と木綿の話」が話題に上った。その中で、父の持っていた『逸話篇』の文字が小さくて読みづらいと話していたので、私が使っていたものを父に譲ることにした。後日、父に『逸話篇』を手渡すと、何かを考えるようにして、その場に佇んだ。実は、私が手渡した本は年季の入った20年もの。学生生徒修養会や修養科などで肌身離さず持ち歩いたもので、当時貼りつけていた付箋も残ったままだった。父は、使い込んだ私の『逸話篇』を手に取り、何か思うところがあったのかもしれない。父が見せた優しい眼差しと、小さくつぶやいた「ありがとう」のひと言に、胸が熱くなった。教祖は、『逸話篇』を通じて、親子で道を通るありがたさを伝える機会を与えてくださったのだと思う。その親心溢れるお導きに感謝しつつ、これからは父と共に、ひながたの道を歩ませていただきたい。親子で道を歩むようにと栄奈三(39歳・大阪狭山市)育児をしながら、保育士として働いています。昨年8月のある日、親神様の不思議なお計らいを感じる出来事がありました。その日は私たち夫婦の仕事の都合で、出勤前に長男を、実家である教会で預かってもらっていました。その勤務中に、一人の園児を抱き上げた際に、園児の腕に違和感を覚え、急いで保健医に診せました。すると、その園児が脱臼していたことが分かったのです。痛がる園児がかわいそうで、応急処置の間、大事に至らないよう傍で祈り続けていました。すると、手当てを受けた園児は、何ごともなかったかのように機嫌よく遊び始めたのです。そして、お迎えの時は元気に両親のもとへ帰っていきました。退勤後、長男を迎えに行くと、その日は教会の子供たちと一緒におぢば帰りをしたそうで、とてもご機嫌な様子でした。「何時ごろに本部神殿で参拝したの?」と尋ねると、その時刻が、園児の腕の痛みが引くようにと、私が一心に祈っている、まさにその時でした。場所は違えど、親子で同じ時刻に神様に祈っていたことに驚きました。そして、この不思議なタイミングの一致に、親神様の思召を感じずにはいられませんでした。日常生活のどんな瞬間にも、親神様がご守護を下さっていることをあらためて実感するとともに、これからも、親子でしっかりと道を歩んでいく思いを新たにした出来事でした。人と関わる知恵カウンセリングエッセー金山元春天理大学教授本部直属淀分教会淀高知布教所長人生後半の生き方40代から50代にかけては自分の体力の衰えや能力の限界を自覚し、十分に働く時間や家族と共に過ごす時間には限りがあることを実感するようになり、残りの人生の過ごし方について考える時間が増えていきます。前回のエッセーでは、そうして自分自身を見つめ直すことで人は成熟していくと説明しました。一方で、この年代は「私の人生はこれでよかったのか。今とは違う生き方もあったのでは・・・・・・」と心が揺れやつや不安などの心理的問題が生じたり、家族関係が不安定になったりすることもあります。心理学ではこれを〝中年期危機〟と呼んでいます。それでは、これを転機として残りの人生を実りあるものにするには、どうすればいいのでしょうか。心理学者の諸富祥彦博士によれば、そのために必要なのは”人生の問い”を転換することです。人生前半の課題は自立することですから、若いころであれば「私がしたいことは何だろうか」「私にとって必要なものは何だろうか」と問いながら生きるのは自然なことです。ところが、人生の折り返し地点を過ぎても、自分がしたいことばかりに関心を持ち続けていては、いつまでたっても心は満たされず、「もっと私にふさわしい人生があるのではないか」と不全感を抱えながら生きることになります。人生後半には、心の向きを「私がこの人生に求めるもの」から「この人生が私に求める「もの」へと転換し、「残りの人生において私がなすべきことは何だろうか」と人生の使命〟を問いながら生きることが求められるのです。「なすべきこと」といっても大げさに考える必要はありません。諸富博士が言うように、私たちが充実した日々を送ることができていると実感するときには、それが仕事を通してであれ、趣味や家族とのふれ合いを通してであれ、「何かの役に立てている」という感覚を持つと思います。まずは身近な他者に対して、自分ができることはないかと関心を持つことから始めてみてはいかがでしょうか。絵・うえかな