天理時報2022年2月16日号2面
自らおたすけの行動起こす誓いを新型コロナ終息のお願いづとめ教会本部は1日、本部神殿でお願いづとめを勤めた。このお願いづとめは、新型コロナウイルス感染拡大の終息と罹患者の平癒をあらためて願うとともに、お互いの心を一つに合わせてご守護を願う意味を確認するもの。昨年4月から、毎月1日正午に本部神殿で勤められている。当日、感染拡大を防止する対策として殿内の参拝者を制限するとともに、南礼拝場前にパイプいすが設置された。正午、中山大亮様は、宮森与一郎・内統領と共に神殿上段へ参進。大亮様が拍子木を、宮森内統領が数取りを務めて、お願いづとめが勤められた。おつとめに先立ち、宮森内統領があいさつを行った。宮森内統領は冒頭、『稿本天理教教祖伝』第十章「扉ひらいて」には、陰暦正月二十六日に教祖が現身をかくされる直前の様子が詳述されているとして、「教祖と初代真柱様との問答の中に、緊迫した状況が伝わってくる」と話した。そのうえで、当日のおつとめは鳴物の手が揃っていないなど、形のうえでは教祖が教えられたおつとめではないにもかかわらず、教祖は陽気な鳴物の音を満足げに聞いておられたことについて、「教祖は何を満足にお思いくだされたのか」と提起。それは「律ありても心定めが第一やで」「価を以て実を買うのやで」(おさしづ明治20年1月13日)とのお言葉を受けた初代真柱様の決心と行動にあったと思うとして、「いまの私たちも、上手にできる、できないとか、状況や環境が整っている、いないの問題ではなく、決心する姿、そしてそれを行動に移していく姿に対して、教祖はご満足くださるはず」と語った。この後、昨年4月からお願いづとめを勤める中で、それぞれが日々に願う心になってきたとして、「いまは次の段階へ進む決心をする時期が来ているように思う」と指摘。それは、コロナによって断ち切られた人の心のつながりを取り戻すことであり、信仰者としては、おたすけの行動を取り戻すことだとして、「心を定めて掛かれば難しい中から何かの芽生えがあることを信じたい。こんなときだからこそ、いま自分にできるおたすけの行動を起こすことを誓って、ただいまからお願いづとめを勤めたい」と話した。新型コロナウイルス感染拡大の終息を祈念し、本部神殿でお願いづとめが勤められた(1日)「教会長夫妻特別講習会」開催<5~9月>年祭へ向かう準備期間に1月27日のかなめ会(直属教会長の会)例会の席上、今年5月上旬から9月上旬にかけて、「教会長夫妻特別講習会」を親里で開催する旨が発表された。受講対象は、このたび初めて教祖年祭を迎える教会長夫妻(立教179年1月から185年8月までに任命された教会長とその配偶者)。この講習会は、4年後に迎える教祖10年祭へ向けて、本年を実りある準備期間とするあらためて教祖年祭の本義について研鑽するとともに、年祭を勤めるお互いの心のありようを見つめ、来年始まる三年千日の活動に勇んで取りかかる契機とするもの。松村登美和・布教部長は、「教祖にお喜びいただける姿で年祭当日を迎えるには、三年千日をどのようにつとめきるかが重要。まずは、教会の竜頭である教会長夫妻が教祖をお慕いし、お教えいただいたことを身に行い、なるほどの人”として教えを伝えられる姿を目指してもらいたい」と話している。開催日、会場などは左記の通り。■開催日(10回)……5月8日(日)、6月12日(日)、27日(月)7月17日(日)18日(月・祝)、27日(水)8月7日(日)、27日(土)9月4日(日)、11日(日)■会場……おやさとやかた南右第2棟陽気ホール■内容……講話、ビデオ3月期の修養科と各講習会などについて2月期に引き続き、3月期も修養科生の受け入れを行います。また、2月27日開講の教人資格講習会と教会長資格検定講習会を実施するとともに、3月16日からの三日講習会Ⅱについても開催いたします。なお、修養科の志願者ならびに各講習会の受講を希望する方は、くれぐれも体調管理につとめていただきますようお願いいたします。立教185年2月9日天理教教会本部おやのこころおやのことばどうでもしん/\するならバかうをむすぼやないかいな「みかぐらうた」五下り目一昨年、自教会の会長就任を前に、境内地の整備に掛かったときのことです。駐車スペースを拡張するために植木の一部を撤去したところ、掘り返した根の下から、古びたレンガが規則正しく並んだ状態で出てきました。形状からして何かの洗い場のような造りですが、父に尋ねても心当たりはありません。ふと、昭和の初めに神殿が建築された当時、この辺り一帯はレンコン畑だったという話を思い出しました。わが家の信仰初代に当たる曽祖父母は、大正の終わりごろから福岡の地で布教に励み、教会設立の翌年に土地を買い求めて神殿普請に掛かります。「なぜこんな畑の真ん中に建てるのか」との信者さんの声に、曽祖父母は「そのうち、この辺りにも人がたくさん住むようになる」と話したそうです。もしかすると、植木があった辺りは、もともとは収穫したレンコンを洗う場所だったのかもしれません。曽祖父母の言葉の通り、いまや教会周辺には高層マンションが立ち並び、目の前の通りを毎日多くの人が行き交っています。その先見性もさることながら、住み慣れた地を離れて新天地に信仰拠点を築こうと奔走し、教会設立を願い出た初代、その背中に導かれて教会へ足を運び続けた先輩方の歩みがあるからこそ、いまの教会や私たちの姿があるということを、会長交代の節目の旬に、あらためて胸に刻むことができました。(榊)