天理時報2022年2月9日号2面
立教185年春季大祭中田表統領神殿講話(要旨)教祖年祭の意義確かめ三年千日へ心づくりを既報の通り、教祖が現身をかくされた明治20年陰暦正月二十六日に由来する、立教185年の「春季大祭」が1月26日、中山大亮様を祭主に執り行われた。ここでは、中田善亮表統領の神殿講話の要旨を掲載する。いまこそおさづけの取り次ぎを明治20年陰暦正月二十六日、教祖は、私たちが成人の歩みを一層進めることを急き込まれる、子供可愛い親心から現身をおかくしになった。いま、お姿を拝することはできないが、教祖はご存命であり、私たちにお掛けくださる親心やお働きは何一つ変わらない。この安心感こそが、この道を信仰する大きな原動力だと思う。私たちがお凭れする心でいれば、教祖はいつも温かく私たちに寄り添って、この先もずっとお働きくださるのだ。おさづけの理は、現身をおかくしになって以降、願い出る者に広くお許しくださるようになった。おさづけの理は「道の路銀」とお聞かせいただくように、しっかりと取り次ぎ、おたすけをさせていただくことで、長く道を通ることができる。素直に教祖に凭れ、懸命におさづけを取り次ぐことによって、成人を志す気持ちも自然と生まれてくる。真柱様は、年頭あいさつの中で、「与えられた条件の中で、やらなくてはならないことをいかに進めるかということを、いまの時旬を考えて、それぞれのつとめを果たしていっていただきたい」と仰せられた。コロナ下で思うようにおさづけを取り次ぐことができない状況はあるが、周囲を見渡せば、取り次ぐ機会はいくらでもあるはずだ。コロナの事情のただ中だからこそ、全教ようぼくは、もっとおさづけを取り次がせていただかなければ、親心にお応えできないと思う。ひながた実践の心を定めて真柱様は、年頭あいさつにおいて、4年後の立教189年に教祖140年祭を勤める旨をお話しになり、「道を伸展させるためには、いろいろな意味において、教祖の年祭を勤めることは大切なことである」と仰せになった。いま、全教が教祖年祭の意義、を生かすということ、さらに心を揃えて具体的な活動を展開することについてよく思案し、教祖年祭の元一日に込められた親心にお応えするという、本来の意識に戻る必要があると思う。あらためて、教祖の年祭はなぜ勤めるのか、なぜ大切なのか、なぜ道の伸展につながるのかを胸に治めることが、年祭活動の第一歩である。教祖の年祭は、人間の年祭とは全く意味が違う。そこで、先人たちがその時代の教祖年祭を、どのように受けとめて歩みを進めてきたかを振り返ってみたい。教祖が現身をおかくしになって間もない1年祭、5年祭、100年祭あたりは、まだまだ情のうえでの悲しみや寂しさが濃かったと思う。さらに、お道を取り巻く状況が厳しかったこともあり、教祖の御苦労をはじめとする道すがらをお偲び申し上げるという意味合いが強かったのではないだろうか。教祖が現身をおかくしになって以降、先人たちは、本席飯降伊蔵様に「おさしづ」を伺いながら、さまざまなことを進められた。おさづけの理を戴き、各地に教会をお許しいただいて、教祖のひながたを手本とし、心を定めてにをいがけ・おたすけに奔走された。また、教祖の年祭を節目として、その旬に頂戴した「おさしづ」に沿って、本教の基盤を整えてこられた。さらに、本席様が明治4年にお出直しになってからは、教内外の事情にお見せいただく導きを思案し、対応しながら、やはり10年ごとの年祭を旬として、成人の歩みを進めてこられた。おやのこころおやのことばたんとよふぼくにていこのよふをはしめたをやがみな入こむで「おふでさき」十五号60春季大祭前の週末、Tさんがおさづけの理を拝戴しました。Tさんは豪州留学中にわが家の長男と知り合って婚約。将来は豪州で生活する予定でした。その矢先、新型コロナウイルスが世界中に広がり、長男は豪州から帰国できず、Tさんも渡豪が叶わない状況に。二人は2年以上、直接会えない日々を過ごしています。婚約の際に、「渡豪までにおさづけの理を戴いてほしい」とTさんにお願いしました。豪州での生活で身上を頂いたとき、お互いにおさづけを取り次げる夫婦であってほしいとの思いからでした。未信仰のTさんは悩んだ様子でしたが、別席を運ぶ心を定め、以後、数カ月に一度おぢば帰りを重ね、昨年10月、満席となったのです。一方で昨年秋、豪州の査証が下りて今年4月末に渡豪するめどが立ったため、なんと出発までにおさづけの理を戴いてもらいたいと、教祖に毎朝お願いしていたところ、この日、晴れてようぼくの仲間入りを果たすことができたのです。暗がりの凍てつく東回廊で待機していると、仮席を終えたTさんが教祖の温もりに包まれたような笑顔で現れました。神殿、教祖殿でのお礼参拝後、数週間前から胸やけがするという妻が、Tさんにおさづけの取り次ぎをお願いしました。ぎごちない取り次ぎのさなか、うれしさと有り難さからか、妻の目から涙が溢れました。翌朝、妻は鮮やかにご守護いただきました。Tさんがこれからも、おさづけを取り次げるようぼくへと成人してくれることを願うばかりです。(足立)