天理時報2022年2月9日号3面
こうした本教の歴史を踏まえて考えてみると、昨今のコロナ下で全教が同じことをできないということは、「それぞれができること、すべきことをする」ということが、いま求められているのではないかと思う。当時の先人たちのように、直接「おさしづ」を伺えずとも、「おふでさき」や『稿本天理教教祖伝』にお教えいただくことに、自分や周囲に見せられることを照らし合わせて思案し、実践していくことが重要だと思う。教祖年祭活動の根本精神は、ひながた実践の心定めである。それには、いまの時代に、自分がひながたをたどるということは、いったい何をすることなのかを、それぞれがしっかりと思案し、具体的な目標を思い描くことだ。ひながたをたどるということは、常に意識すべきところではあるが、10年に一度、教祖の年祭を定めて、そこへ向かう三年千日を仕切って、徹底して教祖のひながたをたどらせていただくのだ。全教が同じ旬を一手一つに、仕切って教祖のひながたをたどるという真実をもって、ご存命の教祖の親心にお応えすることが、教祖年祭を勤める意義である。一手一つの勇んだ成人の旬に教祖140年祭の三年千日活動は、年後のこの日から仕切ってスタートする。いまは、まず教会長などの道の先達から、その意義を胸に治め、心定めに向けて心づくりをしていく必要がある。先の教祖130年祭以後の道を振り返れば、教内外に大きな節を次々とお見せいただいた。「これでもまだ心が定まらないか」と、教祖がお急き込みくだされているように思えてならない。教祖は、現身をおかくしになる直前の問答で、「さあ/\月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ/\あり、それ/\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで」(おさしづ明治20年1月13日)とお教えくださった。この順序は絶対であり、真実の親があってこその私たちである。だからこそ、第一と仰せられる心定めについて、いま真摯に、わが身に問いかけるときではないだろうか。教祖の年祭活動は、成人の旬である。成人とは、教祖のお心に少しでも近づけるよう自分を育てていくことであり、それに欠かせないのが、それぞれの教会である。教会がその地で輝く存在になるには、心定めと不断の努力が必要なのは言うまでもない。おつとめとおさづけによって、土地所の人々をたすけ、教会が地域に求められる存在になるためには、たすける心を定めて種を蒔くことが第一である。私たちは、親の守護を頂戴して生きている。そのご恩報じを忘れてはならない。身の周りに目を配れば、身上や事情で前を向くことができず、必死にたすけを求めている人が大勢おられる。たすけ一条は、道一条でなければ通れない道ではない。まずは、おさづけの取り次ぎからさせていただこう。私たちが目指す陽気ぐらしは、私たち自身が求めていくものであり、一人ひとりの成人も同様である。求めて通って初めて、ご守護をご守護と感じ、喜びもついてくるのだ。教祖がお付けくだされた道を通り、おたすけをする人が一人、また一人と増え、お互いが励まし合い、勇んだ話がまた次の人の勇み心につながっていく。そんな三年千日の年祭活動になるよう、まずは分かった者、できる者から心を定めて、だんだんと一手一つの勇んだ成人の旬にしていくことを、ともどもに、ご存命の教祖にお誓い申し上げたい。視点占いが流行る不透明な世相に朝のニュース情報番組から始まり、雑誌やインターネット、ショッピングモール等、至るところで占いを目にする。占いの市場規模は1兆円ともいわれ、およそ4人に1人がこの1、2年の間に、おみくじを引いたり、易や占いをてもらったりしたことがあるという(『現代日本人の意識構造』)。単なる娯楽の一つかもしれないが、将来への不透明さが増すなか、何らかの指針を求めている世相にも見える。古来、日本には、亀卜や式占をはじめ、多種多様な占いが伝わっている。多くの場合、それらは国を治めるための指針を占うもので、神祇官や陽寮等の限られた人が司った。占いの大衆化は、近世以降と見られる。江戸期のどの家にも備わっていたという「大雑書」は、幕末には生活百科事典の趣をなすものの、本来は暦占書であり、数多くの占いを収録している。また、江戸期に流布した「御籤本」から時代を経るにつれて、おみくじの受容層が武家のみならず百姓や町人に至るまで幅広くなっていることもうかがえる(大野出著『江戸の占い』)。ところで、こうした占いとは全く異なるが、教祖は、元治元年から熱心な信者に対して「扇のさづけ」を渡された。これを頂いた人は、扇の動きによって神意を悟ることができたという(桝井孝四郎著『おさしづ語り草』)。しかし、このさづけは、のちに悪用する人が現れて理を抜かれてしまった点に留意したい。ほこりで曇った心では、神意を悟ることはできないという戒めだろう。「おふでさき」に、「せかいぢうをふくくらするそのうちわ一れつハみなもやのごとくや」(六号14)とある。いまなお先が見通せない中で暮らしているお互いである。しかし、「にち/\にすむしわかしむねのうちせゑぢんしたいみへてくるぞや」(六号15)「このみちがたしかみへたる事ならばこのさきたしかたのしゆでいよ」(六号16)と続くように、をやの声を素直に聞き、時旬に応じた成人への努力を重ねることによって、陽気ぐらしへの確かな道も次第に見えてくるのではないか。(三濱)陽気ぐらしのヒント人生相談知人から何度も借金を頼まれるQ先日、突然訪ねてきた知人から「お金を貸してほしい」と頼まれ、困っています。何度も断っているのに、最近では頻繁に頼みに来るようになりました。今後、知人とどう付き合っていけばいいでしょうか。(50代男性)Aお金は人間が生活するうえで、大切な、必要不可欠のものです。個人間のお金の貸し借りは非常に難しい問題であり、お世話になっている知人や親しい間柄からの申し出には、特に困ってしまうものです。一方で、そのように思うのは、あなたが優しい心の持ち主だからでしょう。相手を大切に思う心は大切ですが、「お世話になっているし、関係を壊したくない」という情が働いて安易にお金を貸してしまい、のちにトラブルに発展してしまうケースもあります。お金を貸す際は「親しき仲にも礼儀あり」の精神で、貸し借りを証明する「念書」を交わすことは最低限必要です。ところで、どうして知人がお金に困っているのか分かりません。なかには、なんとしてもお金を借りようとして、相手に嘘をつく人もいます。知人の言動に少しでも不審な点があるなら、「お金は貸せない」と、きっぱり断ってください。もし二人の関係がこじれてしまっても、あなたの責任ではなく、仕方ないことなのです。私自身、非常に難しい問題に直面した際は、まず親神様教祖に良い方向へ進めていただきたいとお願いしてから、物事に当たっています。あなたも親神様・教祖に事の次第を申し上げ、勇気と後押しを頂くことで、この難局を乗りきってください。回答者平澤勇一磐城平大教会長福島教区長身上・事情などに関する悩みをお寄せください。個人情報は厳守いたします。●〒632-8686天理郵便局私書箱30号天理時報「人生相談」係●ファクス=0743-62-0290Eメール[email protected]