天理時報2022年2月16日号6面
SpecialInterview福岡ソフトバンクホークス監督藤本博史さん©SoftBankHAWKS天理高校野球部OBの藤本博史さん(58歳)が、プロ野球・福岡ソフトバンクホークスの新監督に就任することが昨年10月末に発表された。天理高時代には、持ち前の長打力を生かして甲子園ベスト4入りに貢献。ドラフト指名を受け南海ホークス(当時)に入団すると、福岡ダイエーホークス(当時)時代には史上4人目となるサイクル安打を達成するなど活躍した。現役引退後は、福岡ソフトバンクホークスの2軍・1軍打撃コーチや3軍・2軍監督などを歴任。現在、1軍監督として初の春季キャンプでチームの指揮を執っている。〝天理野球”初のプロ野球1軍監督となった藤本さんに、天理高時代の思い出や新監督としての抱負などを聞いた。―天理高野球部時代の思い出を聞かせてください。天理高校で野球に打ち込み、2年時には夏の甲子園に出場しました。レギュラー9人中7人が2年生だったこともあり、下馬評はあまり高くなかったのですが、清水貢監督(当時)やコーチが「のびのびと野球をするように」と指導してくださったおかげで、思いきってプレーすることができました。最後は私のエラーで負けてしまい、ベスト4という結果でしたが、いい経験をさせてもらえたと思っています。―プロ野球選手を引退後、コーチとして指導する中で意識してきたことはありますか。高校時代は、清水監督から事あるごとに「自分の苦手なことを克服するよりも、良いところをどんどん伸ばしなさい」と声をかけてもらいました。私の長所は長打力でしたから、「打球を100M飛ばす選手がいるとしたら、自分は10飛ばすんだ」と練習に励みました。また、打席に立つときの心構えとして、「10回中3回ヒットを打てば、打率は3割になる」と、ポジティブに捉えることで迷いなくバットを振ることができました。何ごとも良い方向に考えて長所を伸ばすことが大切だと実感したので、いまも選手たちを指導する際に、そう伝えています。よろずのうつくし美の葉マフラーのありがたみ作家澤田瞳子SawadaToko先日、あまりの寒さにたまりかね、新品のマフラーを下ろした。昨夏、家族ぐるみの付き合いのある先輩作家さんから直木賞受賞祝いに頂戴した、文字通りの「とっておき」の品だ。私は着るものに無頓着で、そのせいか親しい方々からよく身に着けるものを頂戴する。放っておけぬ気分にさせているのかと思うと申し訳なく、ことに先日のクリスマス、家族から「これは暖かいよ」と機能性下着を贈られた際は、やはりもう少し気を使おうと誓った。ただ現代社会では衣服の贈答は相当親しい関係に限られるが、近世以前の社会では衣服は非常に一般的な贈答品。たとえば江戸時代、大名は季節の節目節目に将軍に「時服」と呼ばれる折々の衣服を献上し、これらは正月に大名・旗本に下賜される定めであった。そもそも時服の語の由来は奈良時代までさかのぼり、そこでは現実の衣服ではなく、衣服代の名目で糸や布などの給与が与えられていた。では古代社会において、服そのものを贈る例はなかったかといえば、さにあらず。平安時代の風俗が分かる『源氏物語』には、ある年の暮れ、光源氏が周辺に暮らす女たちに正月の服を贈る場面がある。贈る相手に似合う装束を源氏が選んでいく華やかなシーンで、当時、貴族階級において衣服は一般的な贈り物だったと分かるだろう。それ以外にも平安時代の儀式書には、皇子の出産や元服といった祝い事の際に公卿や官吏に衣服が配られた事例があると記されている。たとえば承和9(842)年、のちに文徳天皇となる皇子が元服をした際には、公卿はもちろん合計10人もの官吏に一斉に衣服が下賜されている。幸せのおすそ分け的なプレゼントと言えるだろうが、当時、こういった場合の衣服は宮中にあった縫殿寮という役所が製造を担当していた。当然ミシンなどはなく、すべて手縫いだった時代の話だ。期日までに100枚以上の服を作って納入しろと命じられた時の担当者の気持ちを思うと、胸が痛くなる。とはいえ、かつて衣服が一般的な贈答品だったのは、作成に手間暇がかかる高価な品であればこそ。衣服製造の工業化が進んだ近代社会にその価値が薄れ、贈答とされる機会が減ったのは当然の変化である。ならば衣服の贈答が一般的でなくなったからこそ、現代ではそれらをやりとりできる関係は、かえってかけがえないものと言えるのかもしれない。そう思うと、いただきもののマフラーがますます暖かく、この冬はどうにもこれが手離せぬ気になるのである。