天理時報2022年2月2日号2面
「ひのきしんデー」軸に教会の動きを後押し布教部例会布教部例会は1月25日、おやさとやかた南右第2棟地下2階で開かれ、直属・教区の布教部長らが参集した。例会の冒頭、あいさつに立った松村登美和部長は、1月4日に行われた真柱様の「年頭あいさつ」の中で、教祖140年祭を勤めること、来年は年祭を目指す三年千日の動きに入っていくことに言及されたことにふれ、「これまでの年祭へ向かう三年千日の活動の中で、個人や教会で多くのご守護を頂いてきた。『道を伸展させるためには、いろいろな意味において、教祖の年祭を勤めることは大切』との真柱様のお心をしっかりと受けとめ、年祭活動に邁進する気概を持ってつとめさせていただきたい」と抱負を述べた。さらに、来年から始まる三年千日に向け、布教部としては、各教会や教区・支部の動きをつくり出し、活動を促していく役割を担っていると強調。「新型コロナウイルス感染拡大の影響で、約2年間にわたって活動が滞っている教会もあると思う。年祭活動に向けての動きをつくれるよう、この一年をつとめていただきたい」と期待を寄せた。この後、今年は「全教一斉ひのきしんデー」が提唱90周年の節目を迎えることに言及。昭和7年、青年会と婦人会の呼びかけにより初めて実施された「全国一斉ひのきしんデー」(当時)では、ひのきしんの精神の高潮と社会奉仕の二つをうたっているとして、「今回の『全教一斉ひのきしんデI』が、ひのきしんの意味を再確認し、地域の人に喜んでもらえるような動きを再開するきっかけになれば」と話した。そのうえで、各教会が所属するようぼく・信者に「デー」への参加を呼びかける手だてとして、インターネットの「教区・支部情報ねっと」を活用するよう促した。最後に、松村部長は「『全教一斉ひのきしんデー』への動きを軸に、来年からの年祭活動に向けて、教会の動きをしっかりと後押しできるよう、布教部の活動をともどもに進めさせていただこう」と呼びかけた。なお例会の様子は、YouTubeを使って限定配信された。松村部長は「デー」への取り組みを軸に、年祭活動への動きを後押しるよう呼びかけた(1月25日、おやさとやかた南右第2棟で)お道にふれる機会を積極的に学生担当委員会学生担当委員会は1月25日、教庁講堂で例会を開催。今年の活動方針を発表するとともに、「学生生徒修養会(学修)・大学の部」と「立教185年春の学生おぢばがえり」について説明した。茶谷良佐委員長は冒頭、今年の活動方針について発表。基本方針の「共に教祖のようぼくに育つ」については、「学生は私たちの信仰する姿を見て、お道につながっていく。目の前にいる学生を、将来の教祖のようぼくとして育成し、見守っていくという心で向き合ってほしい」と話した。また、重点項目に掲げた「日常の丹精の継続」「おぢばや教会につながる活動の推進」に言及。「コロナ禍によって行事ができない中でも、ひのきしんや別席を推進し、信仰の喜びを伝えていきたい」として、「そのためには日常の丹精を絶やさず、時間をかけ、継続して働きかけていくことが大切」「学生の心がお道から離れてしまわないよう、お道にふれる活動の機会を積極的につくってもらいたい」と呼びかけた。この後、昨年は中止を余儀なくされた「学修・大学の部」と「春の学生おぢばがえり」について、それぞれ説明があった。「学修・大学の部」は、「ひのきしん〜感謝を実践に〜」をテーマに掲げ、3月2日から12日までに全2回4泊5日の日程で実施する。定員は各220人(計440人)。「春の学生おぢばがえり」は、3月28日午前10時から、「次代を担うようぼくへ」をスローガンに本部中庭で式典を開催する予定。プログラムの一つ「春まつり」は、27日午後1時から、事前収録の動画をYouTubeで配信する。実行委員長の橋本善希さんは「おぢばに帰った一人ひとりが、これからも道の学生として通っていきたいと思えるよう準備を進めて「いく」と話している。「春の学生おぢばがえり」に向けて作成されたチラシおやのこころおやのことばすっきり救けてもらうよりは、少しぐらい残っている方が、前生のいんねんもよく悟れるし、いつまでも忘れなくて、それが本当のたすかりやで。『稿本天理教教祖伝逸話篇」14「本当のたすかり」以前、足元の悪い普請現場でうっかり躓いたことがありました。あいにく手を着いた場所に鋭いトタン板があり、右手を10針縫う怪我を負ったのです。自分は足元が見えていないと反省させられました。そしてそれは、体の足元だけでなく、日ごろから、足元の身近で大切なものに目を向けず、蔑ろにしていることへのさんげでもありました。このような経験は初めてではありません。恥ずかしながら足元の不注意から痛い思いをしたことは数知れず。転倒して肋骨にヒビが入ったときは、寝返りのたびに激痛が走る1カ月を過ごし、諸々の意味で足元に目がいっていないことを思い知らされ、反省の毎日でした。ところが情けないことに、痛みが和らぐにつれ反省の心は薄れ、痛みが全快したころにはすっかり消えてしまいました。親神様は神意の分からぬ人間に、みちおせ、手引き、手入れといった節を見せてくださいますが、一度で分からなければ繰り返しお見せになります。11針縫った怪我は、傷が深かったため神経に触り、実はいまでも小指に麻酔のかかったような痺れが残っています。しかしながら、この痺れを感じるたびに、自分が諸々の意味で足元をよく見ていないことを思い出し、今度こそ忘れまいと自覚させられます。百パーセント治ることだけがご守護ではなく、この「おしるし」こそ、ありがたい親心と思えてなりません。(中田)