天理時報2022年1月19日号6面
表彰全国教誨師連盟総裁から感謝状三重の内藤幸男さん内藤幸男さん(87歳・津神戸分教会長・津市)は昨年10月、長年にわたり矯正施設における宗教教誨に尽くし、教誨業ん事振興に寄与した功績を称えられ、大谷光淳・全国教誨師連盟総裁から感謝状を受けた。18歳のとき、事故で全盲になった内藤さん。平成3年に教誨師を委嘱されると、全国で唯一の全盲の教誨師として、30年余りにわたって対象者の更生に努めてきた。また、天理教視力障害者布教連盟委員長を25年間務めた。内藤さんは「対象者とは、常に感謝の心で接し、体を不自由なく使わせていただけることへのありがたさを伝えてきた。これからも、一人でも多くの人の心に光を灯すことができるよう、つとめていきたい」と話している。(三重・前田社友情報提供)叙勲誰一人取り残さない社会めざし瑞宝双光章高知の藤本忠嗣さん藤本忠嗣さん(75歳・秦分教会長・高知市)は、長年にわたり保護司として対象者の更生保護に尽力した功績により「瑞宝双光章」を受章した。藤本さんは昭和58年、地域の推薦を受けて保護司を委嘱。以来、薬物依存者など約45人の対象者の自立更生に携わってきた。さらに、平成23年には自教会で自立準備ホームの運営をスタート。保護司である妻の晴子さん(78歳・同夫人)らと協力しながら、これまで8人の社会復帰を手助けしてきた。藤本さんは「今回の受章は、家族や信者さんの協力があったからこそ。孤独を感じる人たちを誰一人取り残さない社会を目指して、今後も活動を続けていきたい」と語った。(高知・橋田社友情報提供)人だすけの心で防災活動35年瑞宝单光章福岡の川崎廣昭さん川崎廣昭さん(76歳・西田川分教会信者・糸田町)は、35年間にわたって地域の防災・消防活動に尽力した功績から「瑞宝単光章」を受章した。川崎さんは昭和59年、福岡県糸田町消防団第二分団に入団。現場での消防・救助活動や地域の消防力・防災力の向上に貢献した。また、平成26年から31年の退団まで分団長を務めた。学生時代、側溝に落下した男性を救助した経験から「水害の多い同地区の住民の力になりたい」と、地域の防災・消防活動に取り組んできた。「人のためにとの一念でこれまで精いっぱい務めてきた。これからも後輩の活躍に期待しつつ、地域の安全を見守っていきたい」と、川崎さんは話した。読者のひろば宅配弁当で地域に喜びの輪を角田航太さん(32歳・三重県名張市)自教会の鼓笛隊スタッフとして、10年以上務めてきた。練習は月に1回ほどだが、子供たちが教会につながる大切な機会になったと思う。ところが、昨今のコロナ禍によって鼓笛活動が中止となり、教会の育成行事もできなくなってしまった。こうしたなか、いま自分にできることはないかと考えた末、教友が取り組んでいる「子供支援」の活動に興味を持ち、手作り弁当を近隣家庭に配る「宅配弁当」を始めようと思い立った。未経験のことに不安もあったが、チラシの配布やSNSの活用など、さまざまな工夫をした結果、少しずつ注文が入るようになった。弁当を届ける中で、子供たちや地域の方々の喜ぶ姿を目の当たりにした。コロナ禍という節を乗り越えるには、自ら人だすけの先頭に立ち、行動を起こすことが大切だと感じた。現在は、教会の信者さんらの手作り弁当を毎月90食届けている。さらに、これまでの鼓笛活動を一新し、誰もが参加できる「こども会」として再スタートさせた。これからも、地域と教会とのつなぎ役として、自分にできる活動を精いっぱい実行していきたい。よろずの美の葉古代と現代を結ぶマメ作家澤田瞳子最近、師走があまりに多忙すぎて、おせち料理を作る時間が取れなくなってきた。といっても元々手作りしていたのは、煮しめに田きんとんに黒豆、たたき牛蒡程度で、伊達巻や昆布巻は市販品を切って重箱に詰めるだけ。それでも、きんとんは以前働いていた博物館で上司から教わった特別レシピだったし、黒豆はピーク時には一升近く炊いて親戚縁者に配っていた。それがこの数年、一つ、また一つと市販品に置き換わり、とうとう昨年末に拵えたのは黒豆の煮豆のみ。それもピーク時の半分ほどの量を圧力鍋で炊く超時短レシピである。黒豆は黒大豆とも呼ばれ、大豆の一種。これが正月の縁起物とされているのは、「まめまめしく働けるように」との意味にちなんでいると言われる。そんな大豆は実は、世紀に編纂された『古事記』や『日本書紀』にも登場する、日本人に馴染み深い食物。保食神という穀物を司る神様が殺された時、その身体から大豆と小豆が生まれた、と記されている。『日本書紀』のその部分には、大豆にはマメ、小豆にはアズキとのルビが振られているので、奈良時代には豆といえば大豆を指すものだったようだ。平城京の人々の生活を垣間見られる「正倉院文書には、東大寺で写経を行写経生の食料として、米や糯米などの主食、塩や醤・酢といった調味料とともに、大豆・小豆が支給されたとの記録がある。どうやら醤の原料にされたほか、大豆餅・小豆餅に加工したり、炒り豆として食べられていたようだ。ところで今年の大河ドラマ「鎌倉殿の1人」の主人公・北条義時は、伊豆国(現在の静岡県東部)の若者として登場するが、古代では「豆」の字が頻繁に固有名詞に用いられる。たとえば『日本書紀』では、日本の国土を作ったイザナイザナギの二神が産んだ島の一つは「小豆島」であるし、現在の京都市西部、時代劇のロケで知られる太秦映画村の近辺を治めてた一族に下賜された姓は「禹豆麻佐」だったと記されている。先の『日本書紀』のルビから考えると、「小豆島」はショウドシマではなくアズキシマと呼ぶのが正しいのだろう。いずれにしても、豆がどれだけ古代の人々にとって身近だったかが偲ばれるが、そんな彼らは果たして千年以上後の時代、マメという名ゆえに大豆が縁起物と見なされると分かっていただろうか。そう考えると、つやつや光る黒豆が古代と現在を結んでいるかのようで、次の年末も黒豆だけは煮ようと心に誓うのである。