天理時報2022年1月5日号4面
新春特別企画信心への扉おやさまに導かれた女性この道は、おやさまおひとりからできた道や中山たまへ文・伊橋幸江天理教校本科研究課程講師ご結婚当時のたまへ様。明治23年12月7日(陰暦10月26日)、立教を記念する秋の大祭の当夜、教内の誰もが待ち望んだ、初代真柱様とのご結婚の儀が執り行われたあたらしい年のはじめ。この年を切りひらいていくにあたり、中山たまへ様を取りあげます。つよい、神一条の信念おやさまに導かれた女性というとき、第一番にあげられる、この先人の言葉や態度は、困難を通りぬけ越えてゆくエネルギーにあふれています。令和2年、天理教婦人会創立100年を記念して『初代会長様のお心を温ねて』が出版されました。その「序」には、つねに「神一条」に、「強い信念」をもってお通りくださった中山たまへ初代会長様の精神は、どのように時代が移りかわっても受け継がせていただくもの、としるされています。その精神を『初代会長様のお心を温ねて』に求めてみましょう。たったひとりで中山たまへ様(明治10・1877年~昭和1・1938年)(筆者注・『初代会長様のお心を温ねて』の「略年譜」は陽暦によっている。ご誕生の明治10年2月5日は、陰暦明治9年12月23日にあたる)は、おやさまの嫡孫として、中山秀司・まつゑ夫妻のあいだに生まれました。生前から、なわたまへはやくみたいとをもうなら月日をしへるてゑをしいかり(おふでさき第七号772)と「おふでさき」にしるされ、おやしきに誕生します。祖母である、おやさまからは「たまさん」と呼ばれ、おやさまを「おばあ様」とお呼びして成長しました。おやさまと過ごされた明治20(1887)年2月18日(陰暦正月26日)までの10年間は、官憲によるきびしい迫害干渉の時代です。明治19年、おやさまは88歳で警察署へ御苦労くださいました。人間の心からしますと、けっして「愉快なもの」ではありませんし、「避けたいのは人情」であると、二代真柱様は『ひとことはなしその二』にしるされています。しかし、おやさまは、「此処、とめに来るのは、埋りた宝を掘りに来るのや」「ふしから芽が吹く」とおっしゃって、いそいそと警察署へ赴かれました。警察署では、夜が明けても机の上に灯っているランプの火を、フッと吹き消されました。「婆さん、何する」という巡査にむかって、にこにこされて、「お日様がお上りになって居ますに、灯がついてあります。勿体ないから消しました」とおっしゃいました。おやさまは、ものをむだに消費することが親神様の思召、天理に沿わないことを身をもって示し、自他の区別、陰日向の別なく、警察であろうが、お家であろうが、いっさい変わりなく日課をはたされました。そのひながたを踏ませていただくことが大切であると、二代真柱様はしるされています。この明治19年の出来事について、「両親の無いわし(筆者注・たまへ様)は、頼りのおばあ様が引かれて行きなさるお姿を、たったひとりで、柱の陰からじっと見送っていた」と述懐されています。父とは、明治14年、数え年で5歳のときに別れ、その翌年には母とも別れ、11歳のときには、頼りの「おばあ様」とも、お別れになります。けれども、御苦労のたびごとに、おやさまを慕う人は増え、そのお言葉のとおり、道は世界にひろがるのです。すたるものを活かして明治25年、数え年で14歳のとき、中山眞之臨・初代真柱様と結婚されます。その後も、道は政府からの弾圧をうけ、たいへんな苦心のすえに、明治4年、神道本局から一派として独立します。その道中は、こまやかに心を配り、初代真柱様をささえられました。明治45年には念願であった天理教婦人会が創立され、その初代会長をつとめられます。その4年後の大正3年、38歳のとき、夫である初代真柱様が出直されます。長男(正善二代真柱様)は10歳でした。二代真柱様の「御母堂様」、そして「道の母」と敬慕されつつ、道の子どもを力づよく導かれましたが、その信念をうかがうことができるエピソードを、つぎにあげてみましょう。真柱宅に勤めているかたが、新しいお召物をおすすめすると、「新しいもので新しく使うてゆくのは、あたりまえやが、すたるものを活かして使うということは一寸むつかしい。このむつかしい人のやりにくいことをしてこそ、神様はお喜びくださる」