天理時報2022年1月5日号5面
「人も悪人を導いて善人にするのが、この道の精神である」と、にちにちに、そこをよく考えて通るように、とおっしゃいました。そのにちにちは、「洗いざらした浴衣や、ツギのあたった足袋など」を身につけ、日常の身なりの質素なことは、おどろくばかりでした。おやさまのことをおもえば、「これで充分や。おやさまは八十九十というご老体でありながら、冬の最中ににちにちのお召物さえ満足なものは召されなかった。そのお徳をいただいて、『これを着よ、あれを食べよ』と、何一つの不自由もなく、ほんとにもったいないことや」とおっしゃいました。現代とは、時代も暮らしかたも違う、といわれるかもしれません。けれども、好んで質素な身なりをするという精神を、ものを生かして通られた、おやさまのひながたに求めることができます。そして、じぶんのものとおもって暮らしている土地や家、財産などは、神様からお借りしているもの、すなわち神様の領分にあるといわれ、「人は、姿かたちに捕われやすいものや、いくら良い着物をきてお化粧したかて、の上がるものやない」「うわべ飾るより心磨かしていただいて、おやさまのおひながたを忘れんように」と、体裁や形よりも心を磨くよう、人にさとみずからも身におこなって通られました。きっと切り抜けられるさらには、道の女性を育てたいという一貫した思いをお持ちでした。教会長である夫を亡くした婦人が挨拶にうかがったときのことです。遺された7人の子どものことなど、いろいろと慰めてくださり、「教会の責任はどうするのや」とたずねられました。子どもがたくさんですし、「とても私にはつとまりません」と答えたところ、姿勢を正されて、「そんな弱いことでどうするのや、この道のご教祖様はご婦人であらせられたのやで、そんなこと言うていて道の女と言えるか、ご教祖様のひながたいつ通らせていただくのや」と、きびしく温かく導かれました。また、道の者が世界におくれていては、どうもならんといわれ、「女松男松のへだてはない、と神さまがおおせくだされたからには、女やからといっていつまでも男にぶらさがっているようではなら良人の光によって光っているようでは良人がいなくなれば光らんやろう、自分で光を出さねばならん」と、婦人会の役員方へ、たびたび話してくださったということです。「ご教祖様の御苦労を忘れたらいかん。どんな辛いときでも、それを思うたらきっと切り抜けられる」と、その心の置きどころを示し、「おやさまの真の御苦労は、貧乏や不自由にあるのではない」と、おやさまひながたの要をさとされました。おやさまは、周囲の無理解のなか、「分からん子供が分からんのやい。親の教が届かんのや」と、相手を責めることなく、わかるまで、くりかえし何度も話をきかせてくださいました。そのおかげで、わからん人もかるようにしていただいて、この道はつけかけられたのです。お心を我が心としてこうした『初代会長様のお心を温ねて』にみる、その神一条の信念は、「この道は、おやさまおひとりからできた道や」という言葉にあらわれています。おやさまのおっしゃるとおりにすれば、なにも間違いはない、という自信にあふれた言葉です。その信念は、「何事をさしていただくにつけても、精神のもってゆきどころはご教祖、おやさまや」「ご教祖様を離れて何にもできないのや」という言葉にもあふれています。世界一れつをたすけたいという、おやさまのお心を我が心として、ひとすじに、あたらしい時代を切りひらかれた生涯でした。お子様方と。左からたまへ様(34歳)、正善様(6歳)、玉千代様(9歳)<明治43年12月23日撮影、年齢はいずれも数え年〉昭和13年正月の書き初めに筆を執られたもの。この年の7月10日、御年62歳でお出直しになった