天理時報2021年8月8日号6面
修養科の四季不思議な再会からたすけ一条を心定め第949期森川稔之さん27歳・福岡市・西北分教会所属教会長の長男として生まれ、信仰熱心な両親のもとで育った。小さいころからラグビーに熱中し、天理高校、天理大学、そして社会人でもプレー。20年にわたってラグビーに情熱を注いだ。しかし一方で、お道の教えや親神様の存在が自分自身の中に十分治まらず、教会長後継者として不安を抱えていた。こうしたなか、ラグビー人生にピリオドを打つタイミングで一念発起し、あらためて今日まで結構にお連れ通りいただいたことへの恩返しと、教理を勉強するために修養科を志願した。7年前のバイク事故でおさづけの取り次ぎ受け修養生活を送るなか、各所で身上者におさづけを取り次ぐ仲間たちの様子を見て、大学時代のある出来事を思い出した。7年前、バイクを運転中に車と衝突し、数先の地面にたたきつけられた。意識が朦朧とするなか、ある男性が、横たわる私に駆け寄り、おさづけを取り次いでくださった。すると、生死をさまようほどの大けがにもかかわらず、奇跡的に回復。半年後には部活動に復帰することができた。その男性にお礼を伝える機会は得られなかったが、この鮮やかなご守護に、親神様のお働きとありがたさを身に染みて感じた修養科の初めごろ、クラス感話の際に、その出来事について話した。すると、あのとき、私におさづけを取り次いでくださった男性が、なんと同じ期の先生であることが判明した。不思議な再会を喜ぶとともに、「親神様の親心によって、おぢばに引き寄せられたのだ」と、親神様のお計らいを感じずにはいられなかった。こうしたなか、この親神様の神意を自分なりに考えるようになった。大けがをご守護いただいてからも、親神様・教祖はもとより、両親や多くの方々が温かく見守ってくださったからこそ、20年の長きにわたって大好きなラグビーに打ち込むことができたということに思いが至った。感謝の思いで胸がいっぱいになり、「この道を一生かけて通る」決意が、おのずと固まった。かつて、大けがを負った私に、おさづけを取り次いでくださった先生は「あのとき、事前に心定めをしていたからこそ躊躇なく取り次ぐことができた」と打ち明けてくださった。私も先生に倣って、修養生活中に一回でも多くおさづけを取り次ぐことを定めした。こうして積極的に仲間におさづけを取り次ぐようになると、ある事情から言葉を話せなくなった女性Aさんに、おさづけをする機会が与えられた。懸命にAさんのたすかりを願ったが、自らの無力感を味わったときには、教祖殿へ足を運んで教祖の御前にぬかずいた。そんななか、3カ月目の初めごろ、Aさんの声が出るようになり、簡単な会話ができるようになった。「Aさんのたすかりを願う心を、親神様に受け取っていただけたのかもしれない……」そう思うと、胸が熱くなった。そして、知らずしらずのうちに成人の道へ導かれていたことに気づき、これまで曖昧だった親神様の存在が、確かに心に治まっていくように感じた。教会での青年づとめを経て、4月から布教の家「大阪寮」でおたすけに励んでいる。そんななかもすけ心〟がまだまだ足りないと反省する日は少なくない。今後は、どんな場所でもおさづけを取り次げる布教師を目指していきたい。本部神殿のトイレ掃除で使用された雑巾を、丁寧に洗って干す修養科生幸せへの四重奏カルテット元渕舞ボロメーオ弦楽四重奏団ヴィオラ奏者ニューイングランド音楽院教授和音と心のながり留学して間もないころ、レッスン中に先生が言った。「言葉が分からなくても音楽で通じ合えればいい。音楽が君の言語なんだよ」。その言葉を近ごろよく思い出す。この夏、1年半ぶりに飛行機に乗り、ニューメキシコ州タオスの音楽祭で4週間、ヴァージニア州のハイフェッツ音楽祭で4週間、鞭を執った。世界中から集まった生徒たち。人種も言語も宗教も異なる中で、音楽を一緒に作る心は同じでなくてはならない。和音を作るとき、バランスを調整したり、音を少し高くしたり低くしたりすると音色が全く変わる。弦楽四重奏では、どのような音が欲しいのか、どういう感情が欲しいのか、グループの心を一つにしないと和音を奏でることはできない。音は空中の音波によって出来ている。そして、1秒にいくつの音波があるかによってピッチが決まる。その音波をうまく調整すれば、響きは変わってくるのだ。音の高低によって響きの種類も違ってくる。自分たちにぴったりの響きを見つけるのはプロでも難しい。私のレッスンは生徒への質問から始まる。私は、音がどこに向かっているのか、どういう感情が欲しいのかと生徒に質問する。そして、彼らの想像の世界において、この和音がどういう意味を持つのかを議論する。すると、生徒は質問に答えながら、自分の意見を言葉にするうちに、自分の意図がはっきりと見えてくるのだ。そして、楽器で表現してみて、思っていた音が出たかどうかをまた議論する。これは、いわゆる“自分探し”とも言えるだろう。音楽は、人によって人のために書かれた。自分も音楽と向き合うことで、自分の意図や思考が見えてくる。そして、その思考や感情は日々変わってくる。だから和音も変わってくる。音楽は生きているのだ。共に和音を作った仲間たちは、いつまでも心はつながっている。生徒たちが将来、人種も言語も宗教の違いも超えた一つの世界”をつくってくれるよう願っている。タオスの音楽祭で出会った生徒たち