天理時報2021年7月4日号6面
参考館「マンデートーク」ダイジェスト日野宏天理参考館学芸員優れた造形の「海獣葡萄鏡」天理参考館(春野享館長)は毎週月曜日、展示解説「マンデートク」を開催。6月28日には、日野宏学芸員が「天理市杣之内火葬墓出土の海獣葡萄鏡」と題して、精巧な造形で知られる「海獣葡萄鏡」について解説した。その内容をダイジェストで紹介する。親里ラグビー場のバックスタンド側にある柚之内火葬墓は、奈良時代8世紀のものと推定される。この辺りは古墳時代、古代豪族の物部氏が治めていた。物部氏は、古代日本の最初の統一国とされるヤマト王権の軍事面を司っていた豪族で、天理市の柚之内、三島などにまたがる布留遺跡と呼ばれる地域を拠点に栄えた。その証拠に杣之内地区では、5~6世紀にかけて県内トップクラスの大きさを誇る古墳が次々とつくられた。物部氏は奈良時代に入っても、その勢力を保ち、7世紀に姓を「石上」と名乗るようになった。一族の血を受け継いだ石上麻呂は、平城京で左大臣にまでのぼっている。その息子乙麻呂は、中納言につき歌人や学者として活躍。孫の宅嗣は大納言で、日本初の公開図書館「芸亭」の創設と、それぞれ名を残している。杣之内火葬墓が築かれたのは、彼らが活躍した時代と重なる。発掘の結果から、この火葬墓は直径11メートルの半円形を呈し、その中央に火葬骨と銀製のかんざしを入れた木櫃が納められていることが明らかとなった。当時、火葬の風習は限られた階層の人々の間でしか行われておらず、なかでも杣之内火葬墓は高度な工法によってつくられた、極めて大規模なものだった。皇子クラスの精巧な鏡この柚之内火葬墓から副葬品として出土したのが「海獣葡萄鏡」だた。同品は、中国で隋(6~7世紀)、唐100世紀)の時代に盛んにくられた鏡で、葡萄の文が全面を覆い、実がちりばめられている。また、中心には「俊猊」と呼ばれる中国の伝説上の生き物が鎮座しており、その周りにも4匹の狻猊が、さらには羽を広げた鳥や蝶があしらわれるなど、非常に優れた造形をもつ。一般的な「海獣葡萄鏡」の多くは白銅色である。本品を分析した結果、素材は同じく白銅質であったが、表面を薬品処理して黒くしていたことが分かった。意図は不明だが、1千年ほど土の中に埋もれていたにもかかわらず、ほとんど錆びていないことから、防錆効果があったと考えられる。「海獣葡萄鏡」は、奈良時代の日本もつくられたが、粗いつくりだった。一方、本品は7~8世紀ごろの皇子の墓とされる高松塚古墳の鏡に匹敵するほど精巧であることから、遣唐使が持ち帰ったものと考えられる。高品質かつ希少性も高い「海獣葡萄鏡」が杣之内火葬墓に納められていたこと、また同時期の高松塚古墳と同じような工法が用いられていること。このような情報から、同墓は奈良時代の最高権力者であった石上一族の墓だと推測できる。毎週月曜日、約20分の「マンデートーク」。日野学芸員が「海獣葡萄鏡」について解説した(6月28日、参考館3階フロアで)杣之内火葬墓出土「海獣葡萄鏡」(奈良時代径約12センチ)幸せへの四重奏元渕舞ボロメーオ弦楽四重奏団ヴィオラ奏者ニューイングランド音楽院教授ヨンさんの音楽祭私はいま、ニューメキシコ州タオスの音楽祭に来ている。ここでは8週間、世界中の音楽院から選ばれた1人が室内楽を学ぶ。ほとんどが初対面だが、心を一つにして最高の演奏ができるよう毎日努力を重ね、2日間で1曲を完成させる。私がタオスの音楽祭で講師を務めるのは、この夏で17年目になる。初めてタオスに来た2005年の夏、私は妊娠8ヵ月だった。大きなお腹を抱えて予定日ギリギリまで演奏、指導し、4週間後にボストンに戻って長女を出産した。2年目は、もうすぐ1歳になる長女を連れて参加し、それからは地元の観客たちが、私の娘たちの成長を毎年楽しみにしてくれている。この音楽祭の創始者は、カウボーイのチルトン氏とプロスキーヤーのジョン氏。二人は38年前、有名なスキー場であるタオスの山村で仲間を集めて室内楽を始めた。チェロを弾くチルトン氏が音楽家に声をかけ、山荘のホテルを持つフランス人のジョン氏がフランス料理と宿を提供した。こうした室内楽愛好家の集まりから、次第に将来の室内楽奏者を育てる方向へ向かい、いまがある。ジョン氏の愛嬌と底なしの親切は有名で、一度知り合うと、誰もが家族のように親しんだ。〝喜ばさずには帰せない”が彼のモットーだった。そのジョン氏が今年の3月に亡くなった。彼が亡くなって初めての音楽祭では、その存在の大きさが胸に迫る。この夏はコロナの影響もあり、学生たちの食事はすべて弁当形式となった。これまでジョン氏と、そのご家族が作るフランス料理の大皿をみんなで楽しんだが、このままでは、せっかくジョン氏が残してくれた伝統”を台無しにしてしまう。そこで私が立ち上がった。「ありがとう」と言う学生たちの笑顔が見たくて、毎日の食事作りを引き受けたのだ。「明日は何を作ろうか。みんなは何を食べたいだろう」と考えるうちに、自分の中からとてつもない喜びがあふれてきた。今日の朝ご飯の後、学生から大きな拍手をもらった。それを聞いた主人が、「ジョンさんがとても「喜んでいるよ」と言ってくれた。“喜ばさずには帰せない〟がモットーの亡きジョン氏