天理時報特別号2022年4月号2面
心に吹く風の記茶木谷吉信ChakitaniYoshinobu1960年生まれ天理教正代分教会長教師玉名市元教育委員基本を身につけ、基本を出る「格に入りて格を出ざる時は狭く、また格に入らざる時は邪路にはしる。格に入り、格を出てはじめて自在を得べし」(松尾芭蕉『俳諧一葉集』)私がまだ大学生のころの話です。大学の授業というのは教養教育と専門教育があって、教養教育の中に体育のりました。あるとき、体育の教官が授業の途中で学生を集めて突然、話を始めました。木陰で車座になった私たちは、まるで青春ドラマのワンシーンのように教官の話に耳を傾けました。そのときに教官が引用したのが、冒頭の芭蕉の言葉です。「この言葉は、俳句を作るときの格言として伝えられています。いいですか。格というのは基本のことです。すべてのことは基本を身につけないといけません。しかし、いつまでも基本にこだわっていては狭くなる、と芭蕉は説きます。つまり基本を身につけても、いつまでもその基本から出ないでいると、応用が利かないというわけです。そうかといって最初から自由なことばかりやっていると、それは〝邪路”すなわち邪道に走ることになります。格に入り格を出る。基本をしっかり身につけつつ、それを実際に応用できるまでに使いこなす。それが〝自在を得る”ということなのです」教官はスポーツの基本について話をしたかったのだと思います。しかしなぜか、このお話はずっと私の心に残り、いろんな出来事に遭遇するたびに、この話の通りだなと思う場面が増えていきました。たとえば書道。有名な書家の筆跡をまねて、それらしく書いたつもりでも、素人が書いた書はすぐにそれと分かります。楷書が書けない人に行書や草書は書けません。書家が書・あの形にとらわれない美しい字は、楷書やかなの稽古を何度も繰り返し、筆順も含めて基本通りに書くことによって初めて身につきます。そして、いったんその基本を身につけて行書や草この世界に入ると、たちまち自由な芸術の世界が見えてきます。草書や崩し文字の世界は、時に、あれほど叩き込まれた厳格な筆順さえどうでもよくなり、最終的に形が合えばオーケーとなります。「本」という字は崩し字にすると、とんでもない筆順になっていますよね。楷書と同じなのは一面目だけです。基本れば良い字は書けない。でも、基本通りでは発展がない。それを見事に言い表しているのが、冒頭の芭蕉の格言であるように思います。そしてそれは、私たちの生活にも言えることだと思うのです。朝起きて「おはよう」とあいさつをする。食事のときに「いただきます」と言う。