天理時報特別号2022年1月号2面
心に吹く風の記茶木谷吉信ChakitaniYoshinobu1960年生まれ天理教正代分教会長教誨師・玉名市元教育委員「へそ曲がり」も時には役に立つ私は「へそ曲がり」を自認していて、常々人にもそうお話ししています。へそ曲がりというより、誰でもそうだと思う当たり前の話や、十人が十人とも反対しない話ほど、「ほんとにそうだろうか?」と疑ってかかる、嫌な性格のように思います。たとえば以前、「箸の上げ下ろしまでとやかく言われる」というお姑さんを持つ方の相談を受けたことがあります。「それは大変だなあ」と気の毒には思いましたが、半面、こうも思うのです。「それほど箸の上げ下ろしとは大事なものじゃないか」と。また、同じように「重箱の隅をつつかれるようで嫌なのよ」という話を聞くと、「それほど重箱の隅にある汚れなどは気になるのだ」と、つい思ってしまうのです。私も最初は、このへそ曲がりな性格を少々気にしていました。しかし、あるとき「へそ曲がりな性格も時には役に立つのではないか」と気づきました。この性格のおかげで、見えなかったものが見え、自分からどうしても離れない悩みを解消するウラ技に、何度もつながったからです。たとえば、先ほどの「箸の上げ下ろしまでとやかく言われる」というのを例にとって考えてみましょう。親や配偶者から、あるいは上司や先輩から、こういうしつこい小言を言われるのは嫌ですよね。「もう嫌だ」「なんであんなふうにしか言えないのだろう」と、どんどん悩みが深くなり、「きっと私が嫌いなんだ」「私を恨んでいるんだ」と思って、その原因を探そうとします。人の心は分かりませんから、原因探しは結局無駄なのですが、そこに入り込めば入り込むほど視野が狭くなり、周りが見えなくなる。このことのほうがもっとやっかいで、湧いてくるのは不安や恐れ、疑心や怒りばかりになります。私はこういうとき、まず大きく深呼吸をします。何でもないことのようで、とても大切なルーティンです。そうすると、助っ人として「へそ曲がり」君が登場するのです。そして「箸の上げ下ろしのような細かいことこそ大事だよねえ」と思いを変える。少し視点が変わるだけで、他のことが見えてきます。「そっか。耳障りで気分が悪いけど、それは言い方の問題であって、もしかしたら私のために言ってくれているのかも」「気づきにくいからこそ、気をつけるべきところでもあるなあ」と、怒りや不安の感情に没入しているときにはなかなか見えなかった視点が見えてきます。このとき、心の中で行っているのは、少し俯瞰して考えること。没入していた場所から一歩下がって、自分を含めた全体を見ることです。こう思いを変えることで、不安、恐れ、疑心、怒りの無限連鎖から、ほんの少し解き放たれるから不思議です。