天理時報2022年10月19日号6面
【献血活動の推進に貢献 厚労大臣から感謝状 – 玉島大教会】玉島大教会(岡﨑眞彦会長・岡山県倉敷市)は先ごろ、43年にわたって献血活動の推進に貢献した功績を称えられ、厚生労働大臣から感謝状を受けた。昭和54年、大教会に会場を設け、献血運動がスタート。以降、青年会玉島分会が主体となり、部内教会や地域住民などに献血の協力を呼びかけてきた。現在は年に2、3回、大教会の月次祭の日に実施。毎回、教内外を問わず約40人が献血活動に参加している。また、平成8年には岡山県赤十字センター所長、14年には日本赤十字社岡山支部長、20年には岡山県知事から感謝状が贈られた。同大教会献血活動担当者を兼務する岡本孝之・青年会玉島分会委員長(35歳・千帆港分教会長後継者・岡山県倉敷市)は「コロナ禍の影響で献血者が減少し、慢性的に血液が不足する状況が続いていたことから、一人でも多くの人に協力していただけるようにとの思いで活動を続けてきた。これからも教友と共に、ひのきしんの態度と人だすけの精神をもって献血活動に取り組んでいきたい」と語った。(玉島大・岡﨑社友情報提供), 【銀婚式に来し方を振り返る – 読者のひろば】坪井由紀(51歳・神戸市)平成9年に夫と結婚し、先日、無事に銀婚式を迎えることができました。しかし、その道のりは決して平坦ではなく、身上を通してお導きいただくことが多々ありました。10年前の7月、仕事や育児、実母の介護などで忙しくしていたなか、腹部にがんが見つかり、すぐに入院。将来のことで頭がいっぱいだった私は、親神様からの突然のお手入れに心を倒してしまいました。そんな折、話を聞きつけた上級教会の会長さんが病室へ駆けつけ、おさづけを取り次いでくださいました。すると、不思議にも心と体が軽くなり、「大丈夫かもしれない」と思えてきました。以後、治療は順調に進み、この年のうちに、命に別条ないところまでご守護いただいたのです。退院して所属教会で参拝した折、親神様に心から感謝を申し上げました。ところが、2年前に、今度は乳がんが見つかりました。このときは二度目のがんとあって、夫と談じ合い、親神様に素直におもたれしようと心に決めました。その後、所属教会の会長さんをはじめ、多くの教友がおさづけの取り次ぎやお願いづとめをしてくださったおかげで、二度の入院と手術を無事に乗り越えることができました。体力が戻りつつある今は、親神様の大きなご恩に報わせていただきたいと、近所の教友とこども食堂の活動に参加しています。生かされている体に感謝するとともに、これからも夫婦そろって道を歩んでいきたいと思います。, 【「にをいがけデー」に初参加して – 読者のひろば】三上禮子(74歳・熊本県合志市)1カ月ほど前、知人男性が重い身上を患い、一時は危篤状態に陥ったと連絡を受けました。以来、知人の身上平癒を願って、毎日お願いづとめを勤めました。そんななか、所属教会の霊祭に参拝した際に、会長さんから「ぜひ、『全教一斉にをいがけデー』に参加を」と促されました。これまで布教経験がほとんどなく、不安を抱えたまま、にをいがけデーに初めて参加しました。当日は、支部の教友と共に駅前でリーフレット配りをしました。ところが、街頭に立つことに気恥ずかしさを感じた私は、道行く人に声をかけることができませんでした。そのとき、路傍講演をする会長さんの声が駅前一帯に響きわたりました。会長さんの勇んだ声に背中を押され、意を決してリーフレットを配り始めると、身上で伏せっていた知人の奥さんから「今朝は主人の体調がよく、食事を取ることができた」とLINEで連絡が入ったのです。親神様がお働きくださったことを実感し、思わず涙がこぼれました。不思議なご守護に勇気づけられ、ますます勇んでにをいがけに励むことができました。今回のにをいがけデーを通じて、「親神様はいつも人間を見守ってくださっている。成人への歩みを一歩踏み出せば、必ず応えてくださる」と感じました。これからも一層の心の成人を目指して、この道を喜び勇んで通っていきたいと思います。, 【正倉院今昔 – よろずの美の葉】今年もまた正倉院展のシーズンがやってきた。秋は文化イベントが多く、すべてを体験するには身体が幾つあっても足りはしない。そんな中で正倉院展の注目度が特に高いのは、展示される宝物を納めた倉の扉が勅封――つまり天皇の命で閉ざされた扉であり、展示開始に先立ち、皇居から遣わされた勅使立ち合いのもと、宝物庫を開ける「開封の儀」が毎秋、必ず報じられることも理由の一つ。正倉院宝庫は大型の鉄製鍵で封じられ、さらに鍵の上に麻縄が特殊な形で巻かれている。その結び目には、天皇が自ら書いた書面が巻き込まれ、これは正倉院展終了後に行われる「閉封の儀」の際、また新たなものに取り換えられる。ただ、これほど厳重な管理を受ける正倉院も、その長い歴史の中では様々なトラブルに巻き込まれてきた。たとえば平安時代末期の長暦3(1039)年には僧侶たち数名が正倉院の床を焼き切り、宝物を盗んだとして逮捕されている。また、さらにそれから約100年後の鎌倉時代には、東大寺の僧侶たちが鏡八面・銅の小壺一口・銅の仏像三体を盗み出し、死罪に処せられている。実は東大寺僧らによる盗難事件の直前には、正倉院の倉が改修されており、倉内の宝物が他所に移された。その際、宝物を長時間人目にさらしてしまったのが、盗人たちの悪心を誘ってしまったようだ。ちなみに4年前の第70回正倉院展に出陳された「平螺鈿背八角鏡(第7号)」という鏡は、鎌倉時代に盗まれた鏡の一枚。鏡の地金部分を銀と思い込んだ犯人たちは、螺鈿やトルコ石をちりばめた美しい装飾には目もくれず、これをバラバラに破壊。だが実は鏡は銅製だったため、欠片を銭に換えることは出来なかったようで、盗人たちの逮捕に伴ってそのまま正倉院に帰還。その後、明治時代に補修を受け、今日の形に復原された。だが同時に盗難に遭った鏡の中には、わずかな断片しか正倉院に戻らず、いまだにそのままの形で保管されているものもある。ただ、一部しか残らぬ鏡に存在意義がないかといえば、さにあらず。正倉院宝物は今なお様々な分析が進められており、たとえ欠片であろうとも、それらは古代の技法を伝える大切な遺物である。様々な資料に多くの観点から光を当てることで、歴史はよりいっそうはっきり形を成す。ならば現在の我々の日々の暮らしや記録も、いつかは正倉院宝物同様、未来の人々に過去の姿を示す大切な「鏡」となるのかもしれない。作家 澤田 瞳子