「復元」の徹底誓い 心の成人を 教祖70年祭 – 教史再彩
67年前の昭和31年1月26日。教祖70年祭の参拝後、地元への団体列車を引率する教会長は、教祖の膝元へ帰った喜びを次のように語った。
「小さい教会で、いつの(本部)大祭にも50、60名くらいしかお伴できませんでしたが、年祭の打出しがあってから、何とかして一列車分の御守護を頂きたいと心定めしました。 (中略) お蔭様で予定より百名も多い御守護を頂きました。喜びと感激で胸いっぱいです」
『天理時報』昭和31年1月27日号から
教祖70年祭の4年前の昭和27年。10月30日から3日間、年祭に対する心構えと足取りを固めるべく、全国約1万4千人の教会長をおぢばに招集して、第14回教義講習会が催された。
そして、講習会の最終日に「諭達第一号」発布。中山正善・二代真柱様は「教祖の御前に復元の徹底を誓い、三年千日、人間の心の入替えに勤め、年祭への勤めを果させていただけるよう」と守護を願われて、全教の奮起を促した。
一方、講習会の受講者アンケートには、30年祭の「大正普請」、40年祭の「おやしき整備拡張」、50年祭の「昭和普請」と、年祭ごとに事業の打ち出しがあったため、“70年祭の事業”についての質問が少なくなかった。
そこで、翌28年1月号の『みちのとも』誌上で事業の打ち出しについて尋ねられた中山為信・内統領(当時)は、「矢張り我々教祖様にお仕えする者としては、心の成人を喜んで頂くという事が最初に考えなけりゃならん」と回答。事業を通じての心の成人をある程度は認めつつも「第一に心定めという事が大切じゃないか」と年祭活動の要を明示した。
4月には、満を持しておやさとやかた構想が打ち出され、全教の総力を注いだひのきしんによって、30年に真東棟をはじめ五つの棟が竣工。別席場として使用された。
そして迎えた31年。1月5日から8日にかけて、戦争で中断した本部「お節会」が16年ぶりに再開。また、近鉄上本町駅正面入り口に、紫の幔幕と大提灯を配した等尺大の「黒門(南門)」が登場した。
教祖70年祭は1月26日から2月18日までの間、毎日本づとめが勤められ、約113万人の帰参者があった。交通手段は国鉄の利用者が最も多く約40万9千人、近鉄は約34万6千人だった。また、奈良交通の乗り合いバスを約8万7千人が、貸切りバスを約29万2千人(約5千台)が利用しておぢばへ帰った。
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山口から親里へ向かう団体列車では、生まれつき両膝の関節が曲がらず座ることもできなかった子供が、突然立ち上がる不思議があり、車内は大騒ぎとなった。
また、福岡から団体列車に乗った婦人は、3年間探し続けた甥と駅構内で偶然に再会。喜びの涙に暮れつつ、共におぢば帰りを果たした。
写真には、電車の内外から手を振る教友の姿が見られる。その表情からは、教祖年祭に帰参できた喜びと感激が伝わってくる。