「ほっとけない精神」で心明るくにこにこと、いそいそと
田中芳枝(湯浅分教会長夫人・61歳 和歌山県湯浅町)
教祖百四十年祭は、私が生まれてから7度目の年祭になります。
もともと体の弱かった私を今日まで元気にお連れ通りいただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。子供のころは、年祭の歌が発表されると、毎日家族で合唱したり、諭達の暗唱を教会に暮らしている子供たちと競い合ったりするのが楽しみでした。それがいまでは、孫たちが「諭達第四号」をすでにほとんど覚えて、日々のおつとめの際に大きな声で暗唱してくれています。
当教会に嫁いでからは、年祭のたびごとに大きな身上・事情を通して成人をお急き込みいただきました。自分自身を見失うくらい不安になることもありましたが、さんげとともに心定めをし、それを実行するうちにだんだん心が楽になり、気がつけば身上・事情が喜びに転じているというご守護を頂いてきました。
一例を挙げますと、百十年祭に向かう三年千日に入ってすぐのことです。4人目の子供を出産して10日ほど経ったころ急に右耳が聞こえにくくなり、総合病院を受診すると、「突発性難聴で、すぐに入院治療をしなければ、全く聞こえなくなる。左耳にも影響が出てくる」とのこと。とはいえ、幼い子供たちを残して入院できるとは思えませんでしたので、いったん教会へ戻り、後継者だった主人に相談しました。すると、「人をたすけてわが身たすかる」とお聞かせいただくのだから、今こそしっかり神様にもたれて、共に動かせてもらおうと励ましてくれました。
そこで、ちょうどそのころ、子供が通っている保育園の園長の妹さんが乳がんで入院されていると耳にしていましたし、よふぼく家庭のおばあちゃんが緑内障の手術で入院されていましたので、翌日から病院へおたすけに通う心を定めました。
私が受診した総合病院には「近所の病院で診てもらうことになった」と伝え、毎日、生まれたばかりの子供を連れておたすけに通いました。すると、ほかの入院患者さんにもおさづけを取り次がせてもらえるようになり、併せてお願いづとめを勤めるうちに、どんどん心が勇んできました。
そうして1カ月が経ち、子供の1カ月検診で、主治医から「お母さんの血圧が高いようですが、何かありましたか?」と尋ねられました。そこで突発性難聴のことを伝えると、すぐに検査をしてくださり、ほとんど聞こえていなかった右耳の聴力が、ほぼ正常範囲にまで戻っていることが分かったのです。主治医から「こんな回復はあり得ないですよ」と聞いたときには、喜びで涙が止まりませんでした。
私はこのとき、“たすかりたい心”を忘れて、“たすかってもらいたい心”を持ち続けるところに親神様・教祖がお働きくださることを、身をもって実感させていただいたのです。
あれから30年近くが経ち、その間にも心が緩みそうになったときには身上を頂きましたが、そのたびに、お導きくださる親心に感謝しながら、悩み苦しむ方々へのおたすけに励ませていただきました。
そのなかで気づいたのは、「身上・事情の方は、今つらくて、今どうしようもなくて苦しんでおられる。だから今、駆けつけてもらえたら、どんなにうれしく、心安らかに感じてくださるだろう」ということです。また教会は人の心が落ち着き、もう一度行きたいと自然に足を運びたくなるような、母親の役目を担う場所ではないかとも感じました。
そんな私は「ほっとけない精神」で、たすけを求める方があればすぐに駆けつけるよう心がけています。
真柱様はこのたびのご諭達で、教祖はひながたを通して「どんな中でも親神様の大いなる御守護に感謝して通ることを教えられ」「成ってくる姿はすべて人々を成人へとお導き下さる親神様のお計らいであると諭され」「ひたすらたすけ一条に歩む中に、いつしか心は澄み、明るく陽気に救われていくとお教え下された」とお示しくださいました。
また、ご発布の翌日に開催された「教祖百四十年祭 三年千日決起の集い」で、内統領先生は「この旬だからこそお見せくださるご守護があるはずであります」と述べられました。
私は、このたびの心定めとして「毎日のおさづけの取り次ぎ」と、和歌山教区で提唱されている「普段の自分に+1(プラスワン)」の動きをもって教祖のひながたに近づく努力を重ね、「この旬だからこそ」のご守護につながるおたすけに励みたいと思います。そして、「ほっとけない精神」で、教会が人々のお母さんの役目を担う場所になるよう、三年千日をいつも明るくにこにこと、いそいそと歩ませていただきたいと思います。