青春時代をおぢばで過ごす – 視点
天理教校学園高校が先月、最後の生徒を送り出し、その前身も含む49年の歴史の幕を閉じた。教内子弟の育成に大きな役割を果たし、さまざまなひのきしんに活躍してくれたことを思うと、感慨深い。OB・OGは、なおのことであろう。
学校などの体制は、時代状況などによって変遷する。筆者の周りでも、この学校の卒業生は、すでに教会長をはじめ、お道の中核として活躍している。2月の卒業式で、宮森与一郎内統領が「皆さんたちがこれから残す足跡が、この学校の歴史として残っていく」と話した通りだと思う。
今後この世代の育成は、天理高校が受け持つことになる。教校学園高と比べて幅広い立場の子弟が在校しているが、信仰を深めるさまざまな体制が取られている。始業前の参拝や教義の授業はもとより、1部には用木コースがあり、2部生は本部の各部署などで御用をつとめながら学び、信仰を培っていく。寮で生活指導する幹事には、真柱様も大きな期待を込めて、「布教をするつもりで生徒に向かうように」と話され、幹事もその思いを受け、兄や姉のような存在として日夜、生徒に寄り添い導いている。いままでは教校学園高に入っていたであろう生徒もあらかた受け入れたと聞いており、今後一層の充実が図られるだろう。
この冬、3年ぶりに本部「お節会」が再開されたとき、「ひのきしんができてうれしい」という在学生の声を聞いた。「こどもおぢばがえり」などで生き生きとひのきしんに励み、世話取りする姿に憧れて入学する生徒もいる。こうした心が連綿と育まれることも、おぢばの学校の値打ちの一つだろう。
たとえば、世間の一流会社に就職し、大きな仕事をするために良い学校へ通う選択をする。これと同様に、教えを身につけ、人をたすける心を持つ人間になるために、感受性豊かな青春時代を教祖の教えに満たされたおぢばの環境で過ごすことには大きな意味がある。昨今、高校の授業料無償化などで選択肢も広がっているなか、できることなら、おぢばの学校で学ぶことをお勧めしたい。
(松村義)