持ち場立場の務めに心を尽くして成人の道の歩みを力強く進めよう – 婦人会第105回総会 真柱様メッセージ(要旨)
2022年10月、立教189年1月に教祖140年祭を勤める旨を発表した。現在、私たちは年祭までの三年千日を仕切った年祭活動の中にある。
教祖の年祭は、ひながたの親と仰ぐ教祖が、明治20年陰暦正月二十六日、子供可愛いゆえに、その成人を急き込まれて定命を25年縮めて現身をかくされた事情に始まる。そして教祖は、現身をかくされたのちも存命でお働きくださり、私たちをお導きくださるのである。この教祖の親心にお応えできるよう、私たちが心の成人に努めて、少しでも成人した姿をご覧いただくことが年祭を勤める意義である。
心の成人は、常日ごろから私たちの心に置いておかなければならないことだが、自分の仕事があり、忙しく過ごす毎日の中では、心の成人ということは忘れることはなくても後回しになっているかもしれない。
しかし、教祖の年祭を目指して仕切ってつとめるというときは、年祭という一つの仕切りを設けて、あらためて心の成人を意識し直し、そのためのつとめに拍車を掛けるのである。
ひながたにこもるお導き信じ
教えを身に行って勇んで通る
親神様は、陽気づくめの世の中を思召されて、この世と人間をお造りになった。そして天保9年、旬刻限の到来とともに、すべての人間の母親の魂をお持ちの教祖のお体を月日のやしろに定められ、人間世界に現れ出られた。
以来、教祖は、親神様の思召を言葉や行動に表され、また書き記されて、思召に適う心づかいを丁寧に教えられながら、たすけ一条の道を歩まれ、陽気ぐらしのひながたをお示しくださった。
私たちの成人への足取りは、ひながたに自分を照らし合わせ、自らを反省しては心を入れ替えつつ、思召にふさわしい陽気ぐらしに向かって、模索し苦心を重ね、身に行う中に進むのである。
ところが、教祖がひながたの道を通られた時代は江戸末期から明治中ごろの間であり、当時の社会の状況や人々の暮らし、考え方など、現代の私たちとは大きく異なる。それゆえ、私たちがひながたを実践しようとすれば、時代や社会背景などを考慮し、ひながたの中にこもる教祖の御心の真意を求めて考えていかなければならない。
その参考の一つとして、たとえば、教祖はひながたの道の歩みを貧に落ちきるところから始められたが、それはただ貧乏になりなさいということを教えられているのではない。教祖が貧のどん底の道中でも、「水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」とおっしゃり、あるいはまた「お月様が、こんなに明るくお照らし下されている」と仰せられて、ご家族を励まされたそのひながたからは、どんなつらい困難な状況にある中にも、必ず親神様のご守護があることを教えられていると悟る。
そしてそれは、誰の心の中にも多かれ少なかれあるだろう、物事への執着やわだかまりを取り除くと、そこには普段は見逃している親神様のご守護の数々が見えてきて、知らずしらずのうちに心は晴れて明るくなり、喜びが浮かび上がってくるということをお諭しになっていると思う。
私たちは、ひながたをただ知識に留め置かず、どんな日にも、ひながたにこもる教祖の親心に満ちたお導きを信じ、教祖にもたれて教えを身に行って心を治め、日々を勇んで通ることが大切である。そして、そのようにして送る日々の積み重ねが、苦難の中からも芽を出すお導きを頂けることにつながるのである。
思召に適う道を探って協力し
時代を超えた一手一つの和に
親神様が思召される陽気づくめの世の中は、すぐにできるものでも、限られた人たちだけの努力でできるものでもない。それぞれが暮らした時代や土地所にあって、この道の教えに導かれ、陽気ぐらしをしようと心に決めた人たちみんなが、その決意を世代をわたって受け渡し、受け継ぎながら、親神様の思召に適う道を探って心を普請し、協力し、たすけ合って進むのが、長い年月がかかるかもしれないが、親神様の思召に適う陽気ぐらしへの道である。そしてそこには、時代を超えた全教の一手一つの和が欠かせない。
そこで、一手一つの和を教祖の教えに求めると、この世元初まりのとき、親神様は人間の道具になるものを次々に引き寄せられ、思召を承知させたうえで貰い受けられた。次に、その道具たちは親神様の思召一つに心を揃えて溶け込み、それぞれに与わった役目を責任もって果たしたのである。そして、その結果として生まれたのが人間である。ここに、一手一つの和がいかに大切かということを教えていただいているように思う。
一手一つの和は、親神様の思召を心から信じ、私たち一人ひとりが銘々のつとめを懸命に努めることによって現れてくる親神様のご守護であると考える。
婦人同士お互いの成人を図る
活発な活動が道の姿の底力に
始めにもふれたように、いま道の動きは、この道を通るすべての者が、常に変わらぬ親心で私たち人間を育て続けてくださる教祖の御心にお応えすることに心を揃え、持ち場立場の務めに心を尽くして取り組みながら、成人の道の歩みをより力強く進めようとしている旬である。
天理教婦人会は「一時女、婦人会として始め掛け」(おさしづ明治31年3月25日)との親神様のお言葉を受けて創設された。その一連の「おさしづ」の中で、親神様は、天理教婦人会は道の婦人同士、お互いの成人を図る場であって、そのために婦人みんなが互いに道の理を諭し合って、互いの心を治めるようにと諭されている。
このことを、より深く心に刻んで会活動を推し進めてもらいたいと思う。そして、その中で得たことを心の肥やしとして、皆さん方が教えをもとに心を普請して治めながら、子供を育て人を育て、丹精する努力の中に、家庭の治まり、教会の治まりのご守護をお見せいただける。その治まりの姿は、おのずと土地所へのにをいがけとなるだろう。
皆さん方の活発な活動が、教祖にお喜びいただける道の姿の底力となる。どうか教祖140年祭への三年千日を、心明るく勇んで通ってくださることを心から願ってメッセージとしたい。