陰の支えを思う – 道を楽しむ9
情けないことに、齢50に入ると、あちこちに痛みを感じることがある。数カ月前から左腕が痛くて上がらなくなった。俗に言う「五十肩」だろうと仕方なく思っていたが、痛みに耐えきれず整骨院へ走った。
長年の無理がたたって、ついに悲鳴を上げたのだと言われたが、待てよ、私は右利き。左利きならまだしも、なぜ利き手と反対側の腕が……。不思議に思ったところ、先生の「左腕って、陰の頑張り屋さんなんだよね」のひと言で納得した。
普通、何をするにも主に利き手で作業するだろう。しかし、たとえば高所作業をする場合、仕事をするのは利き手だが、その間、反対側の手は安定して作業できるよう、しかるべき場所をしっかり掴んで体を支えている。振り返ると、そんな場面がいくつも浮かんできた。
陽が当たり、目立ち、活躍しているように見えるのは利き手だが、実は、地味で目立つことなく、その作業を陰でひたむきに支えているのは、もう一方の手である。まさに「二つ一つが天の理」と教えられることに通じるだろう。
かつて本部の学生担当委員を拝命した際、当時の大教会長がこんな話をしてくださった。「この先、本部の御用で教会を留守にすることも増えるだろうが、その間、中田君の代わりに教会の御用をしてくれる人は、中田君を通して本部の御用をしていることになるんやで」と。陰で支える人がいるからこそ御用ができる。自分一人だけではなく、共に御用をつとめるという意識を持つことを教えていただいた。
いまなお教会を空けがちで、外での御用に走り回る日々。これも、私の代わりに留守を預かってくれる家族や、信者さん方のおかげであり、感謝してもしきれない。特に、身近で私を献身的に支え、時には活を入れながら、片腕として働いてくれる妻には頭が下がる。陽の当たる場所へ出かけられるのも、妻のおかげだ。シャイな私は、本人を前にしてはなかなか言えないので、この場を借りて感謝の気持ちを伝えたい。いつも本当にありがとう!
「二つ一つが天の理」。そう思うと、肩の痛みも愛おしくなってきた。
中田祥浩 花巻分教会長