医療とごみ – 世相の奥
新型コロナとよばれる感染症が、猛威をふるってきた。ここしばらく、われわれは身をすくませながらくらしてきたものである。だが、もう過度な用心はしなくてもよいらしい。こんどの感染症も、通常のそれと同じ扱いをうけることとなった。特別な警戒がいる二類から、インフルエンザなみの五類へと、分類がかえられている。
これからは、往来でもマスクを着用しない人が、ふえていくだろう。ただ、私はもうしばらくマスクで顔の下半分をおおいつづけるつもりである。感染予防のためではない。花粉症対策のためである。びろうな話だが、私は鼻水をふせぐため、しばしば鼻孔にティッシュで栓をする。その姿をかくすのに、マスクはつごうがいい。
話をコロナにもどす。たがいの伝染をさけるために、多くのオフィスはアクリルパネルをもうけてきた。視覚はそこねないが、吐息の拡散はくいとめる。その効用を期待し、プラスチックでできた透明の衝立を、机の上へおいてきた。あるいは、ビニール製のカーテンなどを、上からたらしている。
コロナの位置づけが一般的な伝染病と同じになれば、今のべたような設備はいらなくなる。また、未来の重大な感染症にそなえ、それらを倉庫で保管するオフィスは少なかろう。けっきょく、透明のパネルなどは廃棄処分になっていく。言葉をかえれば、プラスチックごみが大量に発生することとなる。
プラごみは生物を害する。その投棄は、可能なかぎりさけねばならない。人工樹脂でできたスーパーやコンビニの包み袋は、有料にしよう。飲食店のストローは、紙でできたそれにさしかえたほうがいい。以上のような掛け声とともに、私たちはプラスチックの利用をへらしてきた。
しかし、アクリル板などがすてられれば、そういった努力はむなしくなる。そう言えば、使い捨てになりやすいマスクの布も、化学繊維でできている。もちろん、医療用の防護服も。ワクチンだって、プラスチック製の注射器で、われわれには投与されてきた。
けっきょく、プラスチックは便利なのである。可塑性があり軽く、値段も安い。近代化学工業の達成をしめす成果でもある。その利便性を、われわれは今回の感染症さわぎでかみしめた。プラごみ対策をねる人たちが、次に打つ手を見まもりたい。
井上章一・国際日本文化研究センター所長