道のうえでの“成人”の意味 – 視点
日本では4月から成人年齢が20歳から18歳へと引き下げられる。18歳からは民法上、親権に服することがなくなり、進路や住居を自分で決めることができ、携帯電話の契約やクレジットカードの作成などに親の同意を必要とせず、国家資格も取得できる。
この改定は、若者の自己決定権を尊重するとともに、積極的な社会参加を促す狙いがある。その背景には、年々進む高齢社会に若者の意見を反映する流れがあるという。ただし飲酒や喫煙は、健康上の理由から従来通り20歳からとなる。
成人儀礼は古今東西に見られる習慣で、日本では髪を結い、烏帽子を被る「元服」が有名だ。たとえば、織田信長は13歳で元服して幼名の吉法師から三郎信長へと改名し、翌年、小さな合戦で初陣を果たした。女子には「裳着」という着物・化粧・髪型を改める儀礼があり、それを済ませることで結婚も許された。
海外に目をやると、かつてアフリカのマサイ族は、男子が一人でライオンを仕留めると成人として認められ、部族の会議への出席や結婚を許されたという。
成人になるとは、自分で自由に決められるようになるということ以上に、それまで子供として保護対象だった者が、一人前の構成員として認められるとともに、家族や共同体の護持や発展に携わる責任を持つ立場になること、といえよう。
お道では、15歳からは銘々の心づかいがわが身に表れると教えられ、満17歳から別席を運ぶことができ、9席の後、おさづけの理を戴いて、ようぼくの仲間入りを果たす。内面的には、我さえ良くばの心づかいを洗い去り、外に向けては、人を思いやり、たすけたいとの気持ちをもって、教祖の教えを奉じて陽気ぐらし世界を実現するための一翼を担うことが、“成人”への段階を踏むことといえよう。
教内でも若いようぼくの活躍が切実に求められている。成人の年齢に差しかかった若者には、ようぼくの務めを果たす自覚を持つことを期待したい。そして周囲の大人は、18歳になった時や成人式などの機会に、道のうえでの成人の意味合いを伝えることも大切だろう。
(松村義)