ヒューマンスペシャル – 3度目のデフリンピック出場 早瀨憲太郎さん
誰もが当たり前に活躍できる社会へ
塾経営、映画制作、アスリート “聞こえない世界”からの挑戦
冬季北京パラリンピックの閉幕から2カ月後の来る5月、もう一つの国際的な“障害者スポーツの祭典”が開かれる。生まれつき耳が聞こえない早瀨憲太郎さん(48歳・教会本部ようぼく・横浜市)は、5月1日から15日にかけて、ブラジルのカシアス・ド・スルで開催される聴覚障害者のための国際スポーツ競技大会「デフリンピック」の自転車競技に出場する。デフアスリートとしての活動のほか、学習塾の経営や映画制作など多方面で活躍している早瀨さん。“聞こえない世界”から飽くなき挑戦を続ける早瀨さんが目指す、社会の姿とは――。
“日本語の魅力”伝えたい
早瀨さんは普段、横浜市内で自ら設立したろう者のための学習塾「早瀨道場」で国語を教えている。20年以上教育に携わってきたが、「少年時代は勉強嫌いだった」と振り返る。
学習塾経営を志したきっかけは、母校・天理高校時代の“甘酸っぱい経験”にあるという。天理市で生まれ育ち、天理高へ進学した早瀨さんは、ある日、後輩からラブレターをもらった。突然の出来事に驚く一方で、手紙に書かれた言葉の意味が理解できずに戸惑った。
「私への思いを伝える文面にある『胸が痛いくらい』という表現を見たとき、彼女の胸が病気か何かで痛くて苦しいのではないかと勘違いをした」
担任だった国語教師にどうすればいいかと尋ねると、「言葉には表の意味だけでなく、裏にも意味がある」と教えられ、目からうろこが落ちる思いがしたという。
さらに、彼女に返事を書こうとした早瀨さんは家族に相談。「私もあなたのことが好きです」と書いた手紙を見せたところ、家族から「その表現はやめたほうがいい」と言われた。
「耳の聞こえない人は、目で見て分かるように物事をストレートに表現することが多い。一方で、耳が聞こえる人は、場合によっては直接的な表現をあえて避けることがあると、初めて知った。聞こえない人と聞こえる人の心理や表現方法の違いを、お互いが理解し合うことが大切だと感じた」
以来、日本語の魅力に引き込まれていった。一念発起し、国語教師を目指して大学へ進学。1998年、念願だった学習塾「早瀨道場」を開校。ろう者に日本語の美しさを伝えようと、教壇に立っている。
「音声の日本語はろう者の耳に入ってこないので、代わりに目で見て学ぶことになる。ろう者が日本語を覚えるのは大変だが、私は、そのハンディを克服するために教えるのではなく、日本語の魅力や面白さを味わう世界へ彼らを誘えるよう頑張っていきたい」
ろう児に誇りを持たせたい
映画監督としての顔も併せ持つ早瀨さん。映像制作を始めたきっかけは、教育の場面で活用できるろう児向けの映像教材が少ないと感じたことにある。
「ろう児が楽しみながら学べる映像を作りたい」と自ら脚本を書き、撮影・編集もこなしてビデオ教材を作成するように。やがて、子供たちの要望に応えて手話ドラマを制作するなど作品の幅を広げると、2005年、ろう者の映画制作グループと共同で手がけた映画『迂路』が、カナダ・トロントのろう映画祭でグランプリを受賞した。
「ろうの子供たちに、映画を通じてろうの先輩が活躍する姿を見せることで、ろう者として誇りを持って自らの人生を切り開く力を身につけてほしい」と語る。
こうした思いから翌年、全日本ろうあ連盟に創立60周年記念映画の制作を打診。ろう者が中心となる初の劇場映画の制作にチャレンジすることになった。
制作現場では、手探りの状態から映画作りをスタート。知人のテレビ局のスタッフに助言を求めたり、連盟から意見を聞いたりして、4年の歳月をかけて撮影・編集を進めた。
こうして2009年に完成した映画『ゆずり葉』は、全国400カ所以上で上映され、40万人の観客を動員。大きな反響を呼んだ。
前作から10年余りを経て、現在、3作目の映画『咲む』が同連盟創立70周年記念映画として全国で順次公開されている。
3度目の出場 メダルを目指す
ろう者のための国際スポーツ競技大会デフリンピックは、1924年の夏季パリ大会に始まり、今年5月、ブラジルで第24回夏季大会が開かれる。スタート時の合図を旗や光で知らせるなどの違いはあるものの、競技内容やルールはオリンピックと変わらない。
早瀨さんは、2009年のデフリンピック「台北大会」に出場した教え子が活躍する姿を見て、「あの舞台に自分も立ちたい」と思い、趣味の一つだった自転車競技に本格的に取り組み始めた。仕事の合間を縫って練習しながら、週末は、日本各地で行われる一般の大会に出場して経験を積んだ。
たちまち自転車競技のデフアスリートとして頭角を現すと、13年に開かれたデフリンピック「ブルガリア・ソフィア大会」に日本代表として初選出。2回目の出場となった17年の「トルコ・サムスン大会」では、自転車競技スプリント男子の部で6位入賞を果たした。
昨年8月、「アスリートの経験を持つ自分だからこそ、できることをしたい」との思いから、東京2020オリンピックにボランティアとして参加。さらに、同パラリンピックの期間中には、NHK総合「あさナビ」にコメンテーターとして出演。連日、障害者アスリートの視点からパラスポーツの魅力などを伝えた。
番組内で手話をするときの豊かな表情や、さまざまな表現を交えながらパラスポーツへの思いを語る早瀨さんの姿を見た視聴者からは、「表現が素敵」「ファンになった」などの声が多数寄せられた。
早瀨さんは、番組に出演したことについて「多くの視聴者にパラリンピックをスポーツとして純粋に楽しんでもらえるよう、アスリートとしての思いを伝えたかった」と話す。
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現在、自身3度目の出場となるデフリンピックでのメダル獲得を目標に、日々強化に取り組んでいる。
「残念ながらデフリンピックの存在を知らない人が、まだとても多い。一人のアスリートとして、デフリンピックの存在を多くの人に伝えられるよう、いまは競技に集中している。障害のある人もない人も、誰もがあらゆる場面で当たり前のように活躍する社会を目指して、今後も私にできる活動に取り組んでいきたい」
文=島村久生