ウクライナの惨劇を我が事として – 手嶋龍一のグローバルアイ11
いまもこうしている瞬間にも遥かウクライナの地で大量の殺戮が繰り広げられている。罪なき子供たち、妊産婦、お年寄りが、ロシア軍の砲弾に倒れつつある。すでに数百万人が祖国を逃れてポーランドなど周辺の国々に身を寄せている。
21世紀の未曽有の惨劇を前に、わがニッポンは果たして何ができるのか。この国は世界第三の経済大国にして、アジアで唯一のG7(先進七カ国首脳会議)加盟国だ。ウクライナに手を差し伸べる、有り余るような潜在力を秘めている。
冷戦が終わった直後、イラクの独裁者、サダム・フセインは、隣国クウェートに戦車を連ねて襲いかかった。この圧倒的な不正義を目の当たりにした国際社会は、多国籍軍を編成してクウェートの主権を回復してみせた。だがこの時、ニッポンは国連の平和維持活動に協力する仕組みひとつ持っていなかった。血も流さず、汗もかかず、カネだけで済ませるのか――そんな蔑みの視線に耐えなければならなかった。
その後、法的な制度はいくらか整ったが、ウクライナ危機に際しても、支援といえば官民揃って資金援助で済ませる弊は改まっていないように思う。だが日本ほどの大国なら、身をもって難民に手を差し伸べる協力の在り方はあるはずだ。
いま被災地で決定的に不足しているのは緊急用の住宅だ。とりわけ災害用テントの分野では際立った先進国である。短時間に組み立てられる機密性の高いテントを持つ。これにウクライナ語と英語で説明書きを付け、緊急食糧とともに輸送機を仕立てポーランドやルーマニアに送ってはどうだろう。
これに先立って民間の先遣隊が現地に乗り込み、被災者の要望を聞き取って準備を整える。現地では子供たちに日本で教育を受けさせたいという難民も少なくない。詳しい聞き取り調査を行って受け入れに道をひらくべきだろう。ウクライナは教育レベルも高く、日本に良い感情を持っている人々は多い。南三陸からは既に受け入れの意向も示されている。
“ウクライナ村”の誕生は、多様性に富み寛容な未来のニッポンの礎になると思う。