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「はい」と言える今日一日に感謝 – わたしのクローバー


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2歳になった孫は、会うたびに言葉が増えていて、成長を感じる。とてもおしゃべりなのだが、最近、遊びの最中に声をかけると、聞こえないふりをしているようだ。この悪知恵も成長?ばぁちゃんは素直に返事をしてほしいなあ。

突然の耳の不調

まだ学校に勤務していた6月の朝、違和感は突然やって来た。周囲の音が耳の中でこだまする。ストレスのせい?それとも寝不足?すぐに治まるだろうと思っていたが、1週間経っても良くならないので病院へ行った。

しばらく通っても変化はなく、2週間が過ぎて、さすがに「まずいぞ」と思い始めた。7月になっても症状は続いた。病院では「あまり気に病まないように……」と言われ、「いやいや、そう言われると余計に落ち込むんですけど」と心の中で反論した。

夏休みが近づいていた。期末考査の間は大きな声を出さずに過ごせる。考査後の特別授業も、なんとか乗りきれそうだった。しかし、この状態がずっと続くかもしれないと思うと、気持ちが折れそうになった。

急に、それまで考えもしなかった「退職」の二文字が心に浮かんできた。

夏休みには、10日間続く大きな行事が待っている。ダンス部の顧問なので、生徒たちが出演する大音量の舞台近くで過ごす時間が長くなる。耐えられるかなあ……。

「ぜ〜ったい大丈夫!」

いよいよ夏休み。ある日の部活動の終わりに、一人の生徒がニコニコしながら近づいてきた。

「先生、大丈夫!私、神様に毎日お願いしているから」「ぜ〜ったい大丈夫!」

イラスト・ふじたゆい

天真爛漫な彼女の笑顔と、「ぜ〜ったい」に圧倒された。下校途中に天理教教会本部の神殿で、私の耳が良くなりますようにと、毎日願ってくれているという。それを聞いて、体中の余計な力がスーッと抜けていく気がした。

私は自分のことばかり考えて不安になっていた。知らない間に知らない所で、そんな自分のことを祈ってくれていたことを知り、心の底から「ありがたいなあ」と思った。もう先のことを案じるのはやめて、彼女たちと共に、夏の一日一日をしっかりつとめようと誓った。

出来過ぎた話なのだが、その日から少しずつ耳の中のこだまが小さくなっていった。「何も案じることはないんやで」と、神様に導かれているように思えた。

論語に「耳順」という言葉がある。六十になると、何を耳にしても素直に受け入れられるようになる、という。

不惑の四十を過ぎても、私は惑うことばかりだった。天命を知る五十になったころ、耳に不調を感じた。聞こえないふりではないけれど、素直に「はい」と言えなかった場面が、いくつか思い出された。

誰かから頼まれたとき、私にできるだろうかという不安は今もなくならない。だが、「はい」と答えられる今日一日があることに、まず感謝しようと思っている。


藤本加寿子(天理高校元教諭)
1959年生まれ