“子供の祭典”再開に寄せて – 視点
2023・7/26号を見る
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いよいよ「こどもおぢばがえり」が4年ぶりに開催される。
親里では会場準備が佳境を迎え、ワクワク感が久しぶりに甦りつつある。今年は行事会場数が減ったことをはじめ、申し込み方法などが大きく変わったので、教会に配られた要項や「こどもおぢばがえりオフィシャルサイト」、『天理時報』の特集(7月5日号)などをよく参照されたい。
引率も前例通りにはいかないし、子供を誘うにも白紙の状態から始めねばならない。しかし、その大変さにも増して、再び開催されることが有り難い。教内子弟の育成・丹精のうえで、「こどもおぢばがえり」に託してきたものがいかに大きかったかは論をまたないし、にをいがけにも大きな役割を果たしてきた。
この3年、各教会ではコロナの感染の波を縫って「こども会」やひのきしんを続け、夏に子供たちを連れておぢば帰りを行った例は少なくない。親里では、ひのきしんを受け付けたり、小規模の行事を催したりしたほか、詰所でも受け入れ態勢を取ったところもあり、引率者自身も、なんとか子供たちを喜ばせようと心を砕いてきた。おぢばで良い思い出をつくってやりたいという願いが、子弟育成のもとではなかろうか。
教祖は、子供を伴わずに帰参した梅谷四郎兵衞に「梅次郎さんは、どうしました。道切れるで」と仰せになった。以後「梅次郎は、毎度、父母に連れられて、心楽しくお屋敷へ帰らせて頂いた」と『稿本天理教教祖伝逸話篇』にある。おぢばに帰り、親元で温かく包まれる思い出は、子供心に掛け値なしのお道に対する親しみを育むことになる。
コロナ禍で3度中止を余儀なくされたことと、内容が様変わりしたことに、直接の関係はない。しかし、これが立て合ったことには、親神様の大いなるお計らいがあると思えてならない。おぢばで何を伝え、どういう世話取りをするのか、あらためて銘々がよく考えることを促されているのではないか。連れ帰る者も迎える者も、もう一度、白紙からつくり上げるつもりで前向きに取り組むことで、道の子弟育成の要の一つを再確認させてもらえるに違いない。
(松村義)