【AI音声対象記事】
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Q. 最近、高校生の息子から「信仰は自由だから自分は信仰しない」と言われました。理由は、神様の存在を信じられないから。これまで素直に通ってきたのに、残念でなりません。息子には、お道の教えを手放さずに生きてほしいのですが……。(50代男性)
A. 外への布教は自分を一時取り繕うこともできますが、縦の伝道は自分のありようがそのまま影響するので、難しいですね。
ここでは、私がご守護いただいてきた30年の道中を紹介しますので、参考になれば幸いです。
まず、日常生活で理の順序を遵守し、熱心に尽くし運ぶ中に、親神様はたすけを必要とする人たちに巡り合わせてくださいました。
そして、懸命におたすけをさせてもらい、やがて別席、修養科、教人資格講習会へと段階を踏んでいくと、たすかりたいと願っていた人たちが、少しずつご恩報じの行いを自ら実践するように成人していきます。
この段階になると、抱えていた身上・事情のご守護を見せていただく場合がありますが、その半数以上は布教所に来なくなり、つながりを絶たれました。なかには、誹謗中傷して去っていく人もいましたが、力を緩めず成人の道を進むと、さらにご恩報じができる人と出会わせていただけました。
こうした信仰体験を繰り返すうちに、身内は不思議と、自ら道を求めて歩んでくれるようになりました。
私もまだまだ道半ばですが、この三年千日は成人への大きなチャンス。ご守護を頂けるまで、ともどもに”力比べ”をするのはどうでしょうか。
回答者:堀 健一(家庭支援プログラムアドバイザー・晃栄理布教所長)