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万事諭して諭を守るなら、皆治まる。
「おさしづ」明治30年9月29日
午後6時といえばもうまっ暗ですが、落葉の歩道には散歩やジョギングをする人が多いのに驚きます。しばらくするとそれも途絶えて、時折、塾や習いごと帰りの自転車に乗った子供とすれちがいます。
先日、人影少ない歩道で赤信号に立ち止まりました。その横断歩道は車1台がやっと通れるわずか3メートルほどの道幅を横断するもので、信号を守る人はほとんどいません。ところが、その夜は、数歩で渡れる横断歩道の向かい側に白い空手着のまま自転車に乗った少年が信号待ちをしていました。周辺には車も人影も無く、二人きりが向かい合っています。おそらく、この少年は事故に遭わぬよう親から言われたことを寒さをこらえて正直に守っているのだろうと思うと、「正直さ」というものを決して笑ってはならないと自戒しました。
のちの本席、飯降伊蔵様は、心の低い方であらせられました。教祖から常々お聞かせいただく「心は一番下に」との仕込みを、生涯守られたのでした。
その本席様の晩年に接した人の話に、「ご本席のお宅に伺って、ごあいさつをするとき、頭を下げて、もうよいと思って頭を上げると、ご本席はなお頭を下げておられる。恐縮して二度下げ直したことが何度あったかしれない」とあります。あたりの空気が澄みわたるような光景が目に浮かびます。
いよいよ冬本番、空手着の少年と出会ったのは、木枯らし一号が吹いた夜でした。
(橋本)