親里の麦秋
教祖殿の北東にある大麦畑には、現在の奈良県では、ほとんど見られない「麦秋」の景色が広がっている。古来、麦にとって“収穫の秋”を迎えるこの時季、順調な実りに人々がほっとひと安心して「小さな満足」を味わったとされる。
暦のうえで、二十四節気の「小満」を迎えた5月21日、おやさとふしん青年会ひのきしん隊の隊員たちが麦刈りを行った。
教祖ご在世当時、お屋敷では、春や秋に農作物の収穫で忙しくしていると、教祖が「私も手伝いましょう」と仰せになって、よくお手伝いくだされた。明治12、13年ごろの初夏、先人たちが汗ばみながら麦かちをしていると、教祖も出てこられ、皆と一緒になされた。ところが、どうしても八十を越えられたとは思えぬ元気さで仕事をなさるので、皆の者は感歎の思いをこめて拝見した、という(『稿本天理教教祖伝逸話篇』70「麦かち」)。
黄金色に輝く麦畑に入り、たわわに実った穂を、昔ながらの手鎌で刈り取っていく。あるひのきしん隊員は、往時と変わらぬ情景に思いを巡らせ、共にお働きくださる存命の教祖の存在を肌身に感じ、勇み心が湧いたという。
この日、収穫した大麦は、親神様・教祖にお供えされる。ぢばに伏せ込む若き青年たちは、教祖への思慕の念を一層強め、力いっぱい御用に励む決意を新たにしていた。