”天理アスリート”に聞く『ピンチをチャンスに変えた経験』
2024・1/3号を見る
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今年7月、フランスで開催される「パリ2024オリンピック」。これまで五輪の大舞台では、数多くの”天理アスリート”がメダルを手にしてきた。その中には、けがや挫折などの困難に直面しながらも、”節から芽が出る”姿を実感したと振り返るアスリートは少なくない。現在、各競技で日本代表選手の選考が行われるなか、パリ五輪を目指す”天理アスリート”4選手に、競技生活における「ピンチをチャンスに変えた経験」を聞いた。
逆境に才能開花 世界と勝負
バスケットボール男子 川真田紘也選手
一昨年10月、チームメートで同じポジションの外国人選手が全治数カ月の大けがを負い、試合に出られなくなった。
ゴール下で相手選手と激しく体をぶつけ合い、試合の勝敗を左右するリバウンドが主な役割となるセンターは、チームの要。彼の離脱は大きなピンチだった。
当時、私はプロ2年目。学生時代に目立った成績はなく、プロでも公式戦出場の機会が少なかったことから、この世界で自分がどこまで通用するのか、不安を感じていたころだった。
その半面、「もっとバスケを!」という強い意思は持っていた。仲間のけがは心配だったが、私にとっては出場機会が増える、思わぬチャンスでもあった。
私自身はたくさん得点するタイプではないので、「自分にできることをやろう」と、ひたむきに役割のプレーに徹した。味方選手をフリーにするための”壁役”に努め、体を張ったプレーを心がけるうちに、監督やチームメートの信頼を得るようになった。自分でも”納得いくプレー”が増えていき、このころ、自身のバスケ選手としての強みを伸ばせたように思う。
こうして日本代表に初めて選出された。昨夏のワールドカップでは、世界の強豪国と対戦。アジア1位で大会を終え、日本代表として48年ぶりに自力での五輪出場を決めることができた。
現在、フィジカルのさらなる強化を果たしつつ、”世界に通用する選手”を目指して奮闘している。もっともっとうまくなって、五輪の大舞台に再び日本代表として立てるよう、全力を注ぎたい。
【かわまた・こうや】1998年、徳島市出身。天理大学バスケットボール部出身。滋賀レイクス所属。身長204センチ、体重110キロの体格を生かし、センターとして活躍。選手としての驚異的な成長スピードと、赤に染めた髪色から、人気漫画『SLAM DUNK』の主人公になぞらえて「リアル桜木花道」として話題に。
苦手克服 自信を胸に大舞台へ
柔道女子 新添左季選手
新型コロナウイルスの世界的流行が始まる少し前のころ、試合で勝てない時期が続きました。日本代表として国際試合に出場する機会も減り、自らの限界を感じていました。柔道の実力を評価されて自衛隊に所属していることもあって、「試合で勝てなければ意味がない……」と落ち込むように。勝てないことで悩むのは、初めての経験でした。
やがてコロナの影響で試合がなくなり、練習時間も満足に取れない日々が続きました。でもこの期間が、自分の柔道スタイルを見つめ直す良い契機になったのです。
私は立技から寝技へ移行する動作が苦手なのですが、特に改善する必要性を感じていませんでした。そんななか、コロナ下でも、ある程度の練習ができるようになったとき、「この機会に研究して、自分のものにしよう」と思い立ちました。コーチに相談し、ひたすら反復練習を繰り返したのです。
すると徐々に成果が表れ、再開された大会でも勝ち星を挙げられるように。「自分にはできない」と諦めていたことでも、継続して取り組めば、いつか必ず実を結ぶことを実感しました。
2023年6月、パリ五輪日本代表の内定をもらいました。その注目度に戸惑うこともありますが、自分のペースで練習に打ち込んでいます。現在、さらなるレベルアップを目指し、フィジカルトレーニングを重ねています。オリンピックでは、強みである投げ技に、ぜひ注目していただければと思います。
【にいぞえ・さき】1996年、奈良県橿原市出身。土佐分教会ようぼく。天理高校、山梨大学柔道部出身。自衛隊体育学校所属。パリオリンピック柔道女子70㌔級日本代表。長い手足から繰り出す立技が武器。得意技は幼いころから磨いてきた「内股」。
大けが乗り越え 感謝のダイブ
飛込女子 金戸 凜選手
5年前、初めて世界選手権に出場しました。決勝へ進出すれば、東京五輪代表が内定する大一番。しかし、準決勝で右肩を負傷し、17位に終わったのです。翌年2月に手術を受け、東京オリンピック出場の夢は目前で泡と消えました。
でも、私のモットーは”諦めない”こと。「前よりも強くなってプールに戻ってくる!」と、次のパリ五輪を見据えてリハビリとトレーニングに励みました。
その後、順調に回復し、大会でも優勝してカムバックを果たせたと思ったのも束の間、2年前の9月に「左膝後十字靭帯断裂」などの大けがに見舞われたのです。
「パリ五輪は、もうダメか……」。そんな思いが頭をよぎるなか、コーチや家族、病院の先生、チームメートが支えてくださったおかげで「諦めたくない」と再び奮起しました。リハビリとトレーニングを続け、昨年の日本選手権で優勝し、再び世界選手権への出場権を獲得できたのです。
二度の大けがを経て、常に周りの人への感謝の思いを持つようになりました。「いま飛べるのは、支えてくださった人たちがいるから」。その人たちに、演技と結果で恩返しをしたいと思いながら、日々の練習に取り組んでいます。
世界選手権では、五輪代表が内定する決勝進出ではなく、メダル獲得を狙っていきます。そして、その先の大舞台に立てたら、3年前の悔しい気持ちを胸に、精いっぱいの演技を披露します。
【かねと・りん】2003年、埼玉県川口市出身。名髙分教会信者。日本大学2年。セントラルスポーツ所属。中学1年のとき、国際大会派遣選手選考会で史上最年少の日本一に輝く。得意技は父・恵太さんから受け継いだ大技、高飛込の5237D(後ろ宙返り1回半、3回半ひねり)。
自分を見つめ直した”猶予期間”
ホッケー男子 永吉 拳選手
天理大学ホッケー部に所属していた4年前、日本代表として国際試合への出場を重ねていた。目標は東京五輪出場。そのさなか、新型コロナの影響でオリンピックの1年延期が決まった。
折も折、日本代表の関係者から「現時点で、君はオリンピック代表メンバーには入っていなかった」と告げられた。
世界で戦ってきた自負があっただけに、正直なところ、かなり落胆した。それでも、すぐに気持ちを切り替えた。
「1年の”猶予期間”をもらったんだ」
代表落選の理由は分かっていた。大学の試合は”勢い”だけでなんとかなるため、日本代表として求められる「戦術や試合の流れを読む力」が鍛えられていなかった。代表合宿で「このままではだめだ」と感じても、大学に戻ると〝今できるプレー〝をしてしまう。自分自身の甘さに気づき、技術面はもちろんだが、周りを見て考えて動く”判断力”の底上げを誓った。
以後、練習以外の時間に試合の動画を何度も見て、自分ならどう動くかをイメージし、プレーを見つめ直した。
こうして1年後の東京五輪では、日本代表として夢の舞台に立つことができた。
今年始めに、パリオリンピックの出場権を争う最終予選が行われる。なんとしても五輪出場権を得て、パリの地で”悲願の1勝”をつかみ取りたい。
日本のホッケー界が盛り上がり、応援してくださる人たちに夢を与えられたらと思う。
【ながよし・けん】1999年、栃木県日光市出身。名田分教会ようぼく。天理高校、天理大学ホッケー部出身。LIEBE(リーブ)栃木所属。ポジションはDF(ディフェンス)。東京五輪では、チーム唯一の現役大学生として出場。チャンスメークを演出する正確なパス捌きが武器。