激変するニッポンの安保環境 – 手嶋龍一のグローバルアイ13
沖縄の施政権が日本に返還されて半世紀が経った。アジア・太平洋戦争に敗れながら、交渉によって沖縄を取り戻す――戦後の日本外交は、前例のない大仕事を成し遂げた。だが、その沖縄はいまも在日米軍基地の大半を引き受け、基地周辺の人々は軍用機の轟音に脅かされている。
祖国への復帰にまつわる光と影、その暗部の最たるものは”沖縄の核”だった。当時の佐藤栄作内閣は、返還交渉にあたって「有事の核持ち込み」を認める密約をニクソン政権と交わしていた。”核抜き返還”こそ佐藤総理にとって最大の外交成果であり、のちに「持たず、作らず、持ち込ませず」に結実した非核三原則の功績でノーベル平和賞を受賞している。それゆえ”核の密約”を墓場まで携えていったのである。
戦後の日本はどれほど恵まれた平和な環境のもとで経済的な繁栄を謳歌してきたことか。プーチンの侵攻によるウクライナの惨状を目の当たりにし、誰しもそう思うだろう。
米ソの冷戦のさなか、当時の日本は米国の核の傘のもとにひっそりと身を寄せながら、一方で核の影が列島に直接及ぶことを忌避してきた。同じ敗戦国でありながら当時の西ドイツが、東側陣営の圧倒的な地上兵力を前に米国の核の威力に頼ったのと好対照だった。
ウクライナもいま”プーチンの核”の脅しに晒されている。フィンランドとスウェーデンがNATO(北大西洋条約機構)への加盟申請を決断したのも頷けよう。東アジアに眼を転じれば、中ロ両国は連携を強め、共同艦隊が津軽海峡を抜け日本海で演習を繰り広げている。日・米・豪・印の海洋大国は、先に東京でQUAD(日米豪印戦略対話)会合を開き、海洋・宇宙強国を目指して攻勢を強める中国に対抗する方策を話し合った。ウクライナの戦いに足を取られて、米国の抑止力に陰りが見えていると危機感を募らせているからだろう。
日本列島を取り巻く安全保障の環境は、核密約当時とは激変している。そんな冷厳な現実を、どこまで直視しているのだろうか。平和の国ニッポンの行く末が気がかりでならない。