第8回「人救けたら我が身救かる」- 輪読会「いつもの暮らしに『諭達』の心を」
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第17期読者モニターアンケート企画
「諭達第四号」のお言葉をもとに、読者モニターたちが自身の体験や考え方を交えながら、三年千日の歩み方について語り合う紙上輪読会。第8回のテーマは「人救けたら我が身救かる」。「諭達」の中で、教祖は「『人救けたら我が身救かる』と、ひたすらたすけ一条に歩む中に、いつしか心は澄み、明るく陽気に救われていくとお教え下された」と示される。教祖140年祭活動2年目のいま、ようぼくお互いは、たすけ一条に歩ませていただく心をあらためて定め、教祖にご安心、お喜びいただけるよう努めることが肝心であり、その先にご守護をお見せいただけると信じる。そこで、今回は「人救けたら我が身救かる」にまつわるエピソードを、読者モニターに寄せてもらった。
ご恩報じがたすかるご守護に
三宅美穂子さん
73歳・玉美分教会長夫人・岡山県玉野市
6年前、「脳内出血」を発症しました。そのときは布教の家「岡山寮」の月次祭の祭典中だったので、周りの教友に体の異変を伝え、すぐに救急車を呼んでもらうことができました。
救急車で運ばれている最中、教祖100年祭の年に母が「脳内出血」を起こしたことが頭に浮かびました。当時、神様の御用を生涯つとめる心を定め、親神様・教祖に母のたすかりをお祈りしました。すると、私の心定めを受け取ってくださったのか、母は一命を取り留めました。以来、私はご恩報じの思いで神様の御用に励ませていただくようになったのです。
私の場合はというと、近くの病院へ搬送され、直ちにICUで治療を受けたおかげで、奇跡的に体のまひや言語障害が残らず、大難を小難にご守護いただきました。
ご恩報じの思いで励んでいた御用でしたが、結果的に私の命をおたすけいただき、まさしく「人救けたら我が身救かる」を実感した体験でした。
おたすけの精神で仕事を勤め
豊崎規正さん
62歳・東浅草分教会教人・愛知県新城市
外国人留学生や技能実習生に日本語を教える仕事を始めて5年が経つ。
その間、ある思いを持ちながら勤めてきた。それは、単なる仕事として外国人に日本語を教えるのではなく、日本語教育を通じておたすけをしたいということ。それこそが、親神様が私にこの立場を与えてくださった思召に違いないと信じたからだ。
今年3月、私が勤める日本語学校から60人の生徒が巣立った。その中に、「いままで生きてきた中で一番うれしかったことは、日本に来て、先生に出会えたこと」と言ってくれる生徒がいた。その言葉が素直にうれしく、これほど有り難いことはないと思った。
おたすけの精神を胸に外国人への日本語教育に携わってきたつもりだったが、この出来事を通じて、たすけられているのは私自身だったと、あらためて気づかせてもらった。
「一日一善」を心がけるなか
山腰敏生さん
67歳・陽輝分教会ようぼく・大阪市
子供のころから「にをいがけ・おたすけが大切だ」と聞いて育ち、これまで幾度となく実動の一歩を踏み出そうと試みてきた。ところが、いつも長続きしなかった。そこで、このたびの年祭活動では、自分が続けられることをやろうと、「一日一善の実行」を教祖にお約束した。
若い人に「元気か」と声をかける、買い物の際にレジのパートさんに感謝を伝える……。とにかく、教祖との約束を果たそうとの思いで地道に取り組んだ。
最初のころは自分なりの一善を見つけるだけで大変だったが、続けるうちに、地域の人のためになることをさせていただこうと、ごみ拾いに取り組むように。昨年10月から、毎朝20分ほど道端のごみ拾いを続けている。
ごみを一つ拾うだけで、その場所がきれいになり、不思議と自分の気持ちも晴れやかになる。これからも教祖との約束を守っていきたい。
御用をつとめる中で気づいた
田中一慶さん
38歳・美濃福富分教会長・岐阜市
「緑内障」や「橋本病」など、いまの医療では完治できない身上をお与えいただいている。
これまで検査を受けるたびに「この先、私の体はどうなるのだろう」と心配になり、インターネットなどで情報を探すものの、調べれば調べるほど不安は大きくなっていった。
そんな折、あることに気がついた。それは、にをいがけや身上を抱える人へのおさづけの取り次ぎ、不登校の子供の世話取りなど、一つひとつの御用を真剣につとめているときは、私自身の身上の不安は感じていないということだ。
人のたすかりを願って祈ること、難渋を抱えた人に寄り添うこと、そうした実践を積み重ねる中で、私自身がたすけられていたと実感している。
人をたすける行いが連鎖して
大塚 徹さん
66歳・櫻地分教会ようぼく・奈良県香芝市
私自身がたすけていただいたことへのご恩返しとして、「今度は人さまをたすけさせていただこう」と決意した出来事がある。
10年前、がんを患った。幸い、手術は無事に成功し、結構にご守護いただいた。身上を通じて、いま親神様から体をお借りしているのは、「社会の役に立つように、この体を使いなさい」という思召だと悟った。
以来、それまで続けてきた環境保全のボランティアに加えて、食糧支援のボランティアを始めた。活動を続ける中で、食品の提供を受けた人から「本当に助かった。今度は私が食品を寄付できるようになりたい」という声を聞いた。
たすけの手を差し伸べられた人が、今度は自分が誰かの役に立ちたいと願う――。人をたすける行いが連鎖していく姿を目の当たりにして、私自身もうれしい気持ちになった。
これからも、お道の信仰者としてひのきしんの精神で取り組んでいきたい。
被災地支援通じて心救われ
生駒優子さん
54歳・名愛分教会ようぼく・名古屋市
30歳のころ、何をやってもうまくいかず、もがいていた時期がありました。
自分が変わらなければ人生は変わらないと思い直し、所属教会への日参や月1回のおぢば帰り、自宅周辺のごみ拾いなど、さまざまなことに取り組みました。
そんななか、福井県で豪雨災害が発生し、何か被災者の力になりたいと思った私は、一人で災害救援へ向かいました。
被災地では、ボランティアの一人として民家に流入した泥の搬出作業を行いました。暑い時期だったので、大変な重労働だったはずが、いま振り返っても、つらかったという記憶は一切なく、作業を終えた後の清々しさとともに、感謝の思いで胸がいっぱいになったことだけが心に残っています。
たすけに行ったつもりが、知らずしらずのうちに私がたすけられていました。
みんなのイチオシ
2月14日号から3月13日号までの紙面の中から、読者の関心が高かった”イチオシ記事”について、寄せられた感想を紹介する。
HUMANSPECIAL
ひながたを胸に前を向き被災地で今できることを
石塚愛子さん(3月13日号4・5面)
被災地は、まだまだ大変な状況にあるにもかかわらず、教えを胸に誰かに尽くす姿は、まさにひながたの実践。教祖もお喜びになっていると想像する。(30代男性)
今できる精いっぱいの支援を続けておられる姿に感動した。復興になくてはならないようぼくの一人だと思う。(60代男性)
自らも被災しながら近隣や地域の人のために踏ん張る石塚さんに心から敬意を表します。地元の皆様にとって、このうえない力になっていると思います。(70代女性)