若葉青葉に心安らぐ 信頼と感謝の念を深めて – 逸話の季
2024・5/22号を見る
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新緑の季節になりました。鮮やかな緑や花の彩りが青空に映える季節なのですが、今日は朝からあいにくの雨が降っています。とはいえ、5月は早苗を植える月でもあります。
この時季以降の雨は、秋の豊かな実りのために欠かせません。雨音に静かに耳を澄ますと、いっぱいに水の入った田んぼから、元気な蛙の声が響いてきます。少し憂鬱な雨も、蛙にとってはむしろ命の源なのでしょう。
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明治15年春のこと。出産の近い山田こいそに、教祖は「今度はためしやから」と、出産後すぐにおぢばへ帰るように仰せられます。
5月10日(陰暦3月23日)、急に産気づいたこいそは、田んぼへ出払った家人の留守中に一人で出産します。不思議なほどの安産でした。
そして教祖のお言葉通り、出産の翌々日には、実家へも立ち寄らず、三里(約12キロ)の道を歩いて、真っすぐおぢばへ帰ります。出産直後の身体に障りは一切なく、常と変わらぬ不思議なおぢば帰りでした。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』「一〇一 道寄りせずに」
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このとき、前日に大雨が降って道はぬかるんでいたそうです。三輪、桜井から丹波市、奈良を結ぶ上街道は、江戸時代には、大坂・京都方面から伊勢参りや初瀬参りをする人々で賑わう幹線道でした。ある程度、道は整備されていたはずですが、現在のように舗装されていないので、雨の影響は免れなかったでしょう。もし、街道をはずれて歩いていれば、その行程は産後の身にとって、かなりの負担になったはずです。
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江戸から明治期の初頭にかけては、まだ乳児死亡率や死産率が相当に高かった時代です。妊産婦の死亡率も高く、安産は決して当たり前ではありませんでした。産後の産褥熱で苦しむ人も少なくないなか、何の障りもなく、おぢばへの歩みを進めながら、当人は、教祖のお言葉への信頼と親神様のご守護への感謝の念をより深めたのではないでしょうか。
母子の到着を心待ちにしていた教祖は、赤児を抱き上げて「いくゑ」という名をお付けになりました。「いくすえ栄える」という意味の名前には、こいその揺るぎない信仰を見定めて、お喜びくだされた教祖の親心が溢れているように感じます。
文=岡田正彦
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