深い親心に感涙にむせぶ 台風一過“ゆきあいの空” – 逸話の季
2024・9/11号を見る
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9月になりました。日本では「4月入学」が一般的ですが、欧米の国々ではむしろ「9月入学」が一般的です。30年ほど前のこの時季、到着したばかりの留学先で親里のライブカメラ映像を見て、世界がとても小さくなったと感じたことを覚えています。
とはいえ、当時は日本に1分間の電話をかけるのも大変でした。パソコンの画面に映像が現れるまで、じっと待ち続けたことも懐かしい思い出です。
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明治19(1886)年8月29日、若くして講元となった但馬国田ノ口村の田川寅吉は、講社の人々と共におぢば帰りに出発し、9月1日に大阪に到着します。
ところが、夜になって寅吉は激しい腹痛におそわれました。驚いた一行はお願いづとめをし、夜を徹して全快を祈ります。夜明けになってようやく回復に向かうと、2日の未明には病躯を押して一行と共におぢばへ出立し、教祖にお目通りをして感涙にむせびました。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』「一九一 よう、はるばる」
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現在の兵庫県北部に位置する但馬国から当時のおぢばへの道のりは、さまざまな交通手段の発達した現代とは違って、はるかに遠く険しい旅路でした。さらに途中の大阪で突然の病に倒れ、一行はおぢばへの距離をより遠く感じたことでしょう。
明治19年には、江戸時代の後期から幾度となく流行を繰り返したコレラが全国で大流行しました。患者数は15万人を超え、死者が10万人を超えたと多くの記録が伝えています。特に大阪などの都市部では、こうした感染症の被害は甚大でした。
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ほんの少し前まで、コロナ禍の中で感染症対策に奔走していた状況を思うと、このときの一行の困惑や苦労は極めて切実なものであったはずです。それでも病躯を押して、おぢばに到着した一同に対し、教祖は「よう、はるばる帰って下された」とお言葉を下されました。この「はるばる」というお言葉には、物理的な距離の形容以上に、困難な道中を越えてきた人々への労いを感じます。
感涙にむせんだ田川が、その感激を生涯忘れず、たすけ一条の道に励んだと伝えられるのは、この教祖の深い親心を感じたからではないでしょうか。
文=岡田正彦
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