「あるもの」を数えてみる – わたしのクローバー
濱 孝(天理教信道分教会長夫人)
1972年生まれ
父の言葉
「あるものを数えてごらん」
子供のころ、父から何度も聞かされてきた言葉だ。
私は東京で生まれた。父の病気をきっかけに奈良県天理市に引っ越したのは、小学校に入る1年前のことだ。三つ年上の姉は天理小学校へ転入し、三つ年下の妹はまだ2歳だった。
東京にいたころよりも、ほんのわずかだが生活がつつましくなった。学校の制服もカバンも、誰かのお下がりや、どこかから頂いてきたものばかり。しかし、周りの友達も似たような生活環境だったから、それが当たり前だと思っていた。
ただ時々、親に何か物をねだると、父は必ず冒頭の言葉を言った。そして、「ないものを数えるんじゃないよ。おまえたちには元気な体がある、帰る家がある、ゆっくり眠れる温かい布団がある。それで十分じゃないか」と。
こちらが期待した答えとは違う言葉に、だんだん言い返すこともしなくなった。
心の隙間に
学生時代、私は電車を乗り継いで、2時間半かけて大阪の大学へ通っていた。早朝発の電車に乗り、帰宅はいつも夜中近く。楽器を学んでいたから、休日はオーケストラの練習やレッスンでスケジュールはびっしり。レッスン代を稼ごうとバイトを掛け持ちし、学業との両立で疲れきっていた。
そんなとき、父が声をかけてきた。
「おまえはいつも、お金がない、時間がない、着ていく服がないと、ないものばかり数えているだろう。自分の周りの、あるものを数えてごらん。元気な体がある、帰る家がある、応援してくれる家族がいる。それで十分じゃないか」
ずっと聞かされてきた父のいつもの言葉が、このときは心の隙間に入り込んできた。耳なれた言葉だったが、私を一瞬、立ち止まらせてくれた。
びっしり書き込まれたスケジュール帳に、毎日が充実していると思い込もうとしていたのではないか。そういえば、長らく家族とゆっくり食事もしていない。
ゆとりなく頑張りすぎる娘を、父は心配したのだろう。この言葉で、あらためて周りを見渡すことができた。自分の力だけで精いっぱい頑張っているように思っていたが、そうじゃない――。
結婚し、授かった3人の息子たちに、私も父と同じ言葉を言ってきた。友達との関係で悩んでいるとき、ケガをして部活を長く休まなければならなくなったとき、課題とバイトに追われる息子たちに、同じ言葉を言ってきた。
息子たちはきっと、またお母さんは同じこと言ってるな、と思っているだろう。私の言葉はまだ、彼らの心の隙間に届いていないかもしれない。だけど私は言い続ける。
ないものを数え始めると、きりがない。心はだんだん下向きに暗くなっていく。そんなときは顔を上げて胸を張り、自分の周りの「あるもの」を一つひとつ数えてみる。自分がどれほど恵まれているか、きっと気づくはずだ。
そしたら次は、当たり前じゃない、このありがたい毎日を大切に大切にすることができると思うのだ。