折々に思召をたずねて通る – 修養科の四季
第963期 川邊美智子さん 34歳・天理市・和海分教会所属
5年前、長女を出産。4年前には流産を経験しました。その後すぐに身ごもり、次女を出産しました。この経験から、何事もなく出産できることが当たり前ではないこと、そして子供たちと過ごす日々が、かけがえのないものであることを実感しました。
しかし一方で、思い通りにならない子育ての日々を送るうちに、子供に対して、つい感情をぶつけてしまうなど、自分自身を情けなく思うことも多々ありました。
そんななか、長女の幼稚園の入園を機に所属教会の会長に勧められ、修養科を志願しました。
“低い心”を意識して
子連れで臨んだ修養生活は、ようぼくとしての心の使い方を学び直すとともに、あらためて子供と真正面から向き合う日々となりました。
そんななか、2カ月目に入ったある日のこと。正座した状態の膝の上で、頻繁に子供が暴れていた影響からか、右足のくるぶしから足の甲までひどく浮腫んだことがありました。そのとき、日ごろの授業で学んだことを振り返りながら、親神様は何をお伝えになっているのかを思案してみると、あることに思い当たりました。
それは、周りの人から子供のことで注意をされたとき、「子供なのだから仕方ないでしょ」と、心の中で言い訳をしていたことです。
良かれと思って注意してくださった人たちの気持ちを考えず、不足していた自身の心の使い方を反省するとともに、もう一度よく思案してみると、「親神様は、周囲の人を通して私に一層成人するよう促してくださり、さらに私が気づけるようにと、身上にしるしをつけてお知らせくださったのでは」と思えました。
そこで、これまでの心づかいを改め、”低い心”で通ることを心に定めました。
また、教養掛の先生の勧めで、詰所の玄関で靴磨きのひのきしんをすることに。毎日喜んでつとめることを心に定め、ひのきしんを始めて2日目、足の浮腫を鮮やかにご守護いただきました。
その後も低い心で通り、詰所でのひのきしんを続けたことで、毎日を心明るく過ごせるようになり、修了するころには、気になっていた周りの人からの子供についての注意も、ありがたく感じられるようになりました。
これからも、折々にお見せいただくことに親神様の思召をたずねて通ることを指針として、まずは、身近な人たちに喜んでもらえるような通り方を心がけていきたいと思います。
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現在は、以前勤めていた天理医療大学の臨床検査学科の教員として仕事をしています。出勤前には子供2人と共に、本部神殿で参拝し、修養科での日々を思い出すことができるので、とてもありがたく感じています。