天理時報オンライン

人生の節から芽を出すには – あなたへの架け橋


「部活、辞めます」

イラストレーション:西村勝利

高校に入学したS子が、迷わず入った部活がバレーボール部でした。小学校から続けてきたセッターのポジションにやりがいを感じ、技術に磨きをかけて思う存分バレーを楽しみたいと、そんな希望を抱いていたのでしょう。

S子の性格は人一倍の負けず嫌いです。中学では、チームで一番背が低いことにもめげず、それをバネに司令塔として活躍しました。高校では、いままでの何倍もきつい練習が続きましたが、持ち前の負けん気と明るい性格で前向きに取り組みました。

2年生になったある日、授業を終えて体育館へ行くと、見慣れない女性が監督の近くに立って、部員たちにアドバイスを送っています。すぐに、新しく赴任してきたコーチの先生であることが分かりました。厳しいけれど温かみのある監督に比べ、新コーチの口から出るのは強い口調の言葉が多く、チームの緊張感は日増しに高まるばかり。当然ながら、指導の矛先はS子のプレーにも向けられます。

「そんなトスで誰がスパイク打てるの!」「どこ見てトス上げてるの!」

いままでそういうタイプの指導を受けてこなかったからか、S子の表情からは日を追うごとにやる気が消え、不満だけが溜まっていきました。そして、ある試合の前日、コーチが彼女に告げた言葉は、「明日は試合に出なくていい。ラインズマンをして」。

これまで厳しい指導に耐えてきましたが、ここにきて、不満は頂点に達し、次の日、彼女は監督に申し出ます。

「部活、もう辞めます」

S子の短いバレー人生が終わった瞬間でした。

その後、彼女は担任やクラスメートに励まされながら、学習部に籍を置いて高校生活を送りました。そんなとき、従兄から「どうせ勉強するなら、看護師を目指したらどう?」とアドバイスをもらいます。この言葉が、毎日を漫然と過ごしていた心に強く響きました。そして、目標は次第に大きく、また具体的になり、卒業後は看護学校へ進学。3年間の勉学と実習を終え、晴れて看護師としての一歩を踏み出すことになりました。

逆境をチャンスに

さて、S子というのは私の次女です。いまは看護師としての勤務も9年目を迎え、同じ市内でレスキュー隊として活躍する消防士の男性と結婚して、育児と仕事に追われる幸せな毎日を過ごしています。

高校時代、大好きだったバレーを辞めると聞いたときは私も心配しました。新しい目標ができて勉強に励んでいる姿を遠くから眺めつつ、娘の幸せを願うばかりでした。

人生には、いくつかの節目があります。植物にたとえるなら、風雪にさらされて折れるのも節ですし、厳寒の冬を乗り越えて、春に新しい芽を吹くのも節からです。この違いは、どこにあるのでしょう。それは、植物が養分や水分を、いかに多く蓄えているかという点ではないでしょうか。

人生もこれと似ています。先祖が子供や孫、曾孫のために積んでくれた、目には見えない魂の徳。これが畑となり、そこに自分が「感謝」という種をどれくらい蒔いて、どのように芽を育ててきたか――。芽を育てるとは、逆境を人のせいにするのではなく、自分の心の汚れを拭い去るチャンスにするということです。

こうした条件が整えば、困難な節に出合っても折れることなく、やがてそこから芽を出し、花が咲いて実がみのる。神様はS子に、それを経験させてくださったような気がします。

「あのときバレーを続けていたら、いまごろどうなっていただろうね」

S子は、こう答えます。

「おそらく看護師にはなっていないと思う」
「じゃあ、いまの幸せは味わえていないかな」
「うん、たぶんね」
「それなら、あのコーチはS子にとって恩人だ」
「私もそう思う」

若い時代に人生を考える節を与えてくださった神様と、憎まれ役になってくれたコーチの先生に、親子で感謝している今日このごろです。

安藤正二郎(天理教本則武分教会長)
1959年生まれ