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「ひのきしん」って、奉仕活動? – 身近で聞いた素朴な問いにWAKUさんがお答えします


イラスト/なんばなつこ

「毎朝、公園の清掃をしている婦人がいます。声をかけると、天理教を信仰している方で、『ひのきしん』をしているとのこと。聞いたことのない言葉ですが、奉仕活動のようなものでしょうか」と、幼児を連れたお母さんに尋ねられました。

その人のおかげで公園がいつもきれいで、ありがたいですね。自発的に無償で行っておられるので、その姿は公共への奉仕、ボランティア活動のようにも見えますが、その心は、私たちが信仰する人間の親なる神様に向いていると思います。

信仰することによって親神様のご守護を知り、お恵みを実感して、そのご恩に報いずにはおれないという感謝の思いが、自然に行動となって表れ出るのが「ひのきしん」です。

一般的に「寄進」とは、社寺などにお金や物を寄付することを意味しますが、親神様は、日々の報恩感謝の行いをも寄進としてお受け取りくださり、それがさらに結構なご守護を頂くもとにもなるのです。

欲を忘れて、信仰の喜びのままに身をもって行うことは、すべてひのきしん。ですから、ひのきしんは清掃だけでなく、さまざまな姿形があります。

地域社会で人の役に立ったり、困っている人に手を差し伸べたりするのもそうですが、そこには、自らの報恩感謝の行いというだけでなく、人間は皆、親神様の子供であり、兄弟姉妹であるという教えが根本にあります。ゆとりがあるから、いま自分は無事だから、たすけるのではなく、兄弟姉妹ならばたすけ合うのが当然、との思いで行っているのです。

「天理教といえばひのきしん、ひのきしんといえば天理教」と、一般にも知る人は少なくありませんが、これからも変わらず、ひのきしんの態度で歩んでいきたいと思います。


西村和久(天理教一筋分教会長)