“真夏の祭典”目前に いつも変わらぬ親の心 – 逸話の季
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7月です。真っ青な空に、真っ白な雲がふんわりと浮かんでいます。真夏の空の色は、還暦を過ぎた私が子供だったころと何も変わりません。この時季の空を見上げると、当時は長期入院中だった母の実家の教会へ参拝するために、父と兄と三人で出かけた夏の日の小旅行を思い出します。もう50年以上の年月が経ったのに、旅の途中に食べたおにぎりの味は、まるで昨日のことのように覚えています。
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文久3(1863)年の7月、辻忠作の長男・由松は、当年4歳であったが、顔が青くなり、もう難しいというほどになったので、忠作の母おりうが背負うて参拝したところ、教祖は、
「親と代わりて来い」
と仰せられた。それで、妻ますが背負うて参拝したところ、
「ふた親の心次第に救けてやろう」
と、お諭しいただき、4、5日ほどで、すっきりお救けいただいた。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』「九 ふた親の心次第に」
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「おさしづ」を拝読していると、「小人々々は十五才までは親の心通りの守護と聞かし、十五才以上は皆めん/\の心通りや」(明治21年8月30日〈陰暦7月23日〉夜)といったお言葉が、しばしば目に留まります。つまり、子供の身上や事情について伺う人が、とても多かったということでしょう。
自分の体の不調であれば、多少の痛みや不具合は無視して日常生活を続けるでしょうが、幼い子供が発熱したり、ぐったりしたりしていると、居ても立ってもいられないものです。子を思う親の心は、いつの時代も変わりません。
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とはいえ、15歳までの子供の病やトラブルは「親の心通り」だとすれば、親の責任は重大です。父親になりたてのころは、こうした責任を少し重荷に感じる日もありました。しかしながら、いま振り返ると、子供を通して親神様・教祖と向き合った経験が、今日の自分へと育ててくれたと素直に感じています。現在進行形の人は大変でしょうが、やはり「親の心次第に救けてやろう」というお言葉は、特定の先人ではなく、すべての人に向けられたお言葉なのだと思います。
■文=岡田正彦
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