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娘が分娩台で聞いたおつとめの音と産声 – 家族のハーモニー


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妊娠中も人のために

1年間、丹精したバラの木に、今年も深紅の花がこぼれるように咲いた5月初旬、娘夫婦に女児が誕生した。

昨年、妊娠の報告を受けたときは、新型コロナウイルス感染症の第2波により、社会全体に重たい空気が立ち込めていた。そうした状況のなかにも、いろいろな方から、結婚式は挙げられないけれど入籍したという報告があったり、無事に出産できたと新生児の写真が送られてきたりと、変わらぬ日常があった。私は娘夫婦に喜びを伝え、今後の協力を約束した。

昨年来、巣ごもりが多くなった家庭で虐待やDVが増えているという。里親をしている私たち夫婦も、児童相談所から行き場を失った子供たちの一時保護を依託された。私たちは、娘夫婦と社会の役に立たせていただこうと申し合わせ、依頼されるままに子供たちを次々と引き受けた。

また教会には、感染症の事情から職や住まいを失った人も滞在している。娘は妊娠中の身でありながらも、妻とともに食事の世話や洗濯など、その時々に自分にできることを、かいがいしくやってくれた。

そうして迎えた出産だった。

教祖(天理教教祖・中山みき様)は、「人をたすけて我が身たすかる」とお教えくだされている。人のたすかりを神様に願い、自らの心や体を、人に喜んでもらえるように使おうと努めるうちに、結果として自分がたすけていただいている、という意味だ。

子供たちの一時保護や、行き場のない人の受け入れは、時にさまざまな困難を抱えることもある。しかし、生活を共にしながら、少しずつ笑顔を取り戻していく姿に、思わぬ喜びを発見して心が癒やされる。まさに、私自身がたすけていただいていることを実感する。

神様からの贈り物

娘は7年前に第1子を授かった直後、自らの命をも覚悟しなければならない病気になった経験を持つ。それだけに、心配な出産であったが、娘夫婦は、教会で受け入れる人たちへの親身な世話取りを通じて、安産というご褒美を神様から頂戴したのだと思う。

また、第1子出産時のことを知る多くの人たちから、祈りと応援があったこともありがたかった。

娘夫婦は、誕生した子供を「つむぎ」と命名した。その名前を聞いたとき、うれしくて目頭が熱くなった。

私は数年前に『家族を紡いで』(道友社刊)という本を上梓した。わが家で育つ里子たちが将来、家庭を持つ日を迎えたときに、家族を優しく包み込める大きな布のような人になってほしい。里親とは、その糸紡ぎのようなものかもしれないと心に浮かび、本のタイトルにした。

娘夫婦も、これからさまざまな人と出会い、その人たちの幸せを願って糸紡ぎの人生を送ってくれることだろう。「つむぎ」という命名そのものが、私の心を優しく包んでくれた。

緊急事態宣言下での出産は、家族の付き添いさえ許されなかったが、産院の配慮で分娩室と電話がつながり、音声を聞くことができた。スマートフォンから聞こえてくる産院スタッフの声に感謝しながら、教会の朝づとめが始まった。

出産後、娘から「リモート出産のおかげで、分娩台でおつとめの音を聞くことができて、終了と同時に元気な産声を上げてくれました。厳しい状況の今だからこその経験だなあって感じます。ありがとうございました」とのメールが届いた。

分娩室に流れたおつとめの音と、おつとめ終了直後に聞こえた産声は、神様から娘と私たちへの最高の贈り物となった。これからも人に寄り添う生き方をしようと、娘から送られた孫の写真を見ながら、心に誓った。


白熊繁一(天理教中千住分教会長)
1957年生まれ


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