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「人間はじめ出した屋敷やで」――「ぢば」はすべての人間の故郷


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河内国柏原村(現・大阪府柏原市)の山本利三郎さんは、二十一歳のとき、村相撲を取って胸を打ち、三年間も病の床に伏していました。命旦夕に迫った明治六年夏のこと。同村に働きに来ていた人を通じて「大和の生き神様」の話を聞き、父親の利八さんが代参して、教祖(天理教教祖中山みき様)からお言葉を頂きました。「この屋敷は、人間はじめ出した屋敷やで。生まれ故郷や。どんな病でも救からんことはない。早速に息子を連れておいで……」
これを聞いた利三郎さんは、「大和の神様へお詣りしたい」と言いだしました。「とても大和へ着くまで持たない」と、家族の者は止めましたが、あまりに切望するので、戸板を用意してひそかに門を出ました。途中、竜田川の大橋まで来たとき利三郎さんの息が絶えてしまい、一旦は引き返しました。しかし、家に着くと不思議と息を吹き返し、「死んでもよいから」と言うので、水盃を交わして、夜遅く、また戸板をかついで大和へと向かいました。
翌々日の朝、お屋敷にたどり着いた瀕死の利三郎さんに、教祖は、「案じる事はない。この屋敷に生涯伏せ込むなら、必ず救かるのや」と仰せくださいました。教祖の温かい親心により、利三郎さんは六日目におたすけいただき、一カ月の滞在の後、柏原村に戻ってきました。その元気な姿に村人たちは大層驚いたということです。(『稿本天理教教祖伝逸話篇』三三「国の掛け橋」から)
教祖のお住まいになるお屋敷は、親なる神様が人間を創造された元の地点、「ぢば」のある場所。人間の故郷「ぢば」に帰って親神様におすがりすれば、必ずたすけていただけると、教祖はお教えくださったのです。利三郎さんは、このとき教祖から頂いた「国の掛け橋、丸太橋」とのお言葉を胸に、河内一帯に教えを広めて回りました。そして教祖の間近にお仕えし、生涯お屋敷の御用をつとめました。

おぢばに帰って親神様におすがりすればどんな人でも必ずたすけていただけます。

※『稿本天理教教祖伝逸話篇』……信仰者一人ひとりに親心をかけ、導かれた教祖のお姿を彷彿させる二百篇の逸話が収められていて、教理の修得や心の治め方について学ぶことができます。


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