景行天皇とヤマトタケル – 山の辺の道 心の景
ススキが夕日に輝く、秋の山の辺の道。金剛山を背景に、大和三山の畝傍山と耳成山が霞んでいる。手前右側の森は、第12代景行天皇の陵墓だ。
この天皇の名に親しみを覚える人は、歴史ファンでも、そういないだろう。では、ヤマトタケルの父親といえば、どうだろう。
少年時代から勇猛だったヤマトタケルは、父の命で若くして諸国を転戦。生涯を戦いのなかで過ごした。それは、父がこの息子を恐れ、遠ざけたためと『古事記』にある。かたや、息子は父に認められたいがため奮闘した。しかし、ついに現在の三重県で絶命する。その際、望郷の歌を詠んだ。
「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし」
景行天皇陵の北東にある鎌砥池の堤には、この歌を記した案内板がある。写真はそこで撮影したもの。「悲しき勇者」に思いを馳せ、この景色を眺めてみてほしい。
(J)
インスタグラム「山の辺の道 心の景」
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