第3回「にをいがけ」- ようぼくデイズ
2024・9/11号を見る
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第18期読者モニターアンケート企画
親里や各地域における信仰実践や活動・行事などの意義や魅力について、読者モニターが自らの体験をもとにエピソードを語るコーナー「YOBOKU DAYS」。第3回のテーマは「にをいがけ」。例年9月に設けられている「にをいがけ強調の月」。今年と来年は「全教会布教推進月間」と銘打ち、教祖140年祭活動のさなかに、ようぼくがさらに強い意識をもって布教活動を行うことが促されている。そこで今回は「にをいがけ」にまつわるエピソードを読者モニターに寄せてもらった。
「布教の家」の経験が信仰の原点
豊崎規正さん
63歳・東浅草分教会教人・愛知県新城市
にをいがけに対する私の意識を変えたのは、33年前の「布教の家」愛知寮での日々だった。
教会に生まれ育ち、親里での学生生活、本部勤務、大教会での青年勤めなどを経て、少しはお道のことを分かっているつもりだった。ところが、入寮して間もなく、そんな考えは私のうぬぼれだと気づかされた。
それまで布教とは、信者を増やすためにすることだと思っていた。しかし戸別訪問に歩く中で、をやの思いを、まだ知らない兄弟姉妹に伝えること、それを通じて自分の心を磨くことが大切であり、それこそがにをいがけなのだと学んだ。
布教の家での1年間は、私にとって信仰の原点である。現在は布教師としての使命に燃えていた当時と比べると汗顔の至りだが、あのときの経験が今の私を支えているのは間違いない。
路傍講演で振り返った自らの信仰
小長谷啓太さん
48歳・華越一分教会ようぼく・名古屋市
にをいがけと聞いて真っ先に思い出すのは、数年前「三日講習会」(当時)を受講した際に行った路傍講演だ。奈良市内で、用意した原稿を無我夢中で読み上げた記憶がある。
人前で話すことに苦手意識はなかったが、このときばかりはとても緊張した。ところが、いざ話し始めると、一人でも多くの人に伝えたいという気持ちが芽生え、一生懸命に声を出した。
原稿の内容は、私が信仰を始めたきっかけについて。班の皆さんと意見交換をしながら仕上げたものだった。それまで自らの信仰を振り返る機会は少なかったが、あらためて確認することができた。このことは、いまでも心に残っている。
これからも、にをいがけを機に再確認した信仰の元一日を忘れることなく、成人の歩みを進めたい。
教会住み込みの日々を思い出し
西方敬子さん
54歳・東日分教会ようぼく・東京都江戸川区
12年前、半年ほど教会に住み込んだことがありました。当時を振り返ると、にをいがけに歩いた思い出が蘇ります。
にをいがけが苦手で、気を重くして歩いていました。教会長の奥さまと回ることもありましたが、一人のときはとても緊張し、訪問先が留守だと、かえって安心するようなこともしばしばでした。
ご近所の方々は教会のことをご存じだったので、邪険にされたり追い払われたりした経験はありません。そればかりか、お道の話を熱心に聞いてくださる方がいて、「もっと上手く話せたら……」と反省することも。にをいがけに歩くたびに、ようぼくとしての自覚を促されるような思いになったものです。
最近は、なかなかにをいがけができていません。この旬に、勇気を出して頑張ってみようと思います。
身近な人へ“種蒔き”を続けて
宮田敦彦さん
66歳・東川越分教会ようぼく・埼玉県川越市
神名流しやチラシ配りで面識のない人に声をかけることは勇気がいる。そこで私は、身近な人へのにをいがけを意識している。
親しい間柄の人に、母親の身上をご守護いただいた経験や、自分自身が頂いたご守護の話を伝えた。
すると、これまでに親戚3人、大学時代の後輩1人、前職の部下1人、友人2人の計7人の初席者のご守護を頂くことができた。現在も勤務先の同僚におぢば帰りをしてもらおうと声をかけている。
また、所属教会の信者さんの中で、親の代まで信仰していたのに、いまは教会から離れてしまった人の自宅に、もう一度お道につながってくださるように祈りながら、『天理いきいき通信』を毎月ポスティングしている。
これからも諦めずに地道に種蒔きを続けたいと思う。この先、何人の方をおぢばへお連れできるか 。これからが楽しみでならない。
さまざまな出会いに背中を押され
髙橋ひろみさん
54歳・船三咲分教会教人・天理市
にをいがけをしていると、いろいろな人と巡り合います。
JR奈良駅前でリーフレット配りをしていると、外国人観光客に片言の日本語で声をかけられました。リーフレットを指さして何か訴えています。戸惑いながら手渡すと、うれしそうに受け取ってくれました。
ある日、バス停前でリーフレットを配っていると、ジッと見ている男性が。長い間、視線を向けられているので、恐る恐る「どうぞ」と差し出すと、男性の顔がほころび、笑顔で受け取ってくれました。
また別の日、天理駅前で路傍講演をしていると、向こうから男性が近づいてきました。そして、私の足元にペットボトルの水をそっと置き、「ご苦労さまです。教祖140年祭に向けて頑張ってください」と、労いの言葉をかけてくださいました。
にをいがけにはまだまだ苦手意識がありますが、教祖がこうした方々と出会わせて、背中を押してくださっていると思っています。
わが師を仰いで
足りないものをお供えしなさい
山本健児
57歳・神加分教会ようぼく・神戸市
「足りないものを親神様にお供えしなさい」
母から教わった言葉だ。あるとき、この言葉が布教師だった祖父の言葉だと知った。
祖父曰く、「子供のことで悩んでいるなら、人さまを育てることに力を入れる。人間関係で悩んでいるなら、人間関係で貢献できるように汗を流す。お金で困っているなら、お金をお供えするんやで。そうすれば、親神様がお働きくださるからな」と。この教えは、つい不足しがちな私に、親の口を通じて、親神様が伝えてくださったのだと思う。
代々受け継いできたこの言葉を忘れることなく、家庭や職場で実践できるよう心がけていきたい。
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特別企画「おたすけに生きた女性 成人の歩みをたどる」中川よし[上][下]
(7月10、17日号4・5面)
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親神様・教祖に尽くし、教えの伝道に人生を全うされた中川よし先生の歩みは到底まねできないが、せめて先人の生き方を頼りに、一意専心の信仰を目指したい。(50代男性)
32年前に修養科を志願した際、偶然手に取った本が中川よし先生について書かれたものだった。この特別企画を読んだとき、感動するとともに、当時のことを鮮やかに思い出した。(60代男性)