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「あの雨の中を、よう来なさった」―― 不思議なたすけと教祖の親心


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明治十二年のこと。大阪で萬綿商を営む井筒梅治郎さんは、生後間もない娘の下半身一面にイボ状の腫れ物ができ、そのイボが膿んではつぶれるという状態になったのを、隣人から紹介された布教師にたすけられました。それ以来、梅治郎さんは熱心に信仰するようになり、その年の秋、隣人が眼病で失明寸前になったときには、早速おたすけにかかって、鮮やかなご守護を頂きました。
翌十三年の春、梅治郎さん夫婦は、教祖(天理教教祖・中山みき様)にお礼を申し上げたいと思い、娘のたねさんを連れて初めてお屋敷へ帰らせていただきました。大阪を出発したときは大雨が降っていましたが、お昼ごろにはカラリと晴れ、途中一泊して、到着したのは午後四時ごろでした。教祖は、「あの雨の中を、よう来なさった」と仰せられ、たねさんの頭を撫でてくださいました。
さらに教祖は、「おまえさん方は、大阪から来なさったか。珍しい神様のお引き寄せで、大阪へ大木の根を下ろして下されるのや。子供の身上(病気)は案じることはない」と仰せになって、たねさんの体の治りきっていないところにお紙を貼ってくださいました。たねさんは、間もなく全快のご守護を頂きました。
(『稿本天理教教祖伝逸話篇』七一「あの雨の中を」から)
教祖はすべて見抜き見通しであり、おかけくださる親心に感激した梅治郎さんは、信仰の炎を燃え上がらせました。大阪に戻ると、教祖の教えを一人でも多くの人に伝えようと人だすけに奔走しました。やがて、遠近から大勢の人がたすけを願いに来るようになり、翌十四年には講社の結成を願い出て、教祖から「真明組」の講名を拝戴しました。そして教祖のお言葉通り、ここからこの教えを全国に広めていったのです。

教祖はすべてを見抜き見通しで子供の帰りをお待ちくださっています。

※『稿本天理教教祖伝逸話篇』……信仰者一人ひとりに親心をかけ、導かれた教祖のお姿を彷彿させる二百篇の逸話が収められていて、教理の修得や心の治め方について学ぶことができます。


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