年祭活動は三年千日が本番 あと1年、さらなる動きを進めよう – 新春インタビュー 中田善亮・表統領に聞く
2025・1/1号を見る
【AI音声対象記事】
スタンダードプランで視聴できます。
年が明けて立教188年を迎え、教祖140年祭へ向かう三年千日の3年目が始まった。立教189年1月26日の年祭当日を目指し、いま各地の教会やようぼくが、それぞれに定めた目標を達成するべく、成人の歩みを進めている。年祭活動の最後の1年を歩むうえでの心構えについて、中田善亮表統領にインタビューした。
しっかりとつとめきる覚悟を
――年祭活動の最後の年を迎えました。真柱様は、2024年の「年頭あいさつ」で、「三年千日は準備期間ではなく、もうすでに本番である」と明示されました。年祭当日の意義と残り1年となった三年千日の捉え方について、あらためてお聞かせください。
教祖年祭を振り返れば、100年祭までは1月26日から2月18日までの24日間を年祭期間と定めて、三年千日活動を進めていました。それが結果として、「年祭期間が本番」という捉え方に結びついていたように思います。
しかし現在、教祖年祭は1月26日の1日に限って勤められています。ですから、年祭当日へ向かう三年千日が本番であると、真柱様は念を押されているのだと思います。
その本番である三年千日も、今年1年で終わりです。年祭の日を延ばすことはできませんから、どのように通るかをよく考えたうえで、最後の1年をしっかりつとめきらせてもらうという覚悟を、年頭にあらためて定めたいと思います。
一方で、ようぼくの成人や教会活動の充実というのは、1年や2年で達成されることではないと思います。
「おさしづ」では、10年のうちの3年を一生懸命通るようにと促されています。10年はまた繰り返すわけですから、この三年千日を10年に一度の節目と捉え、それが教会やようぼくにとっての一里塚になるような歩み方を思案し、積み重ねていけるよう心がけていただきたい。教祖年祭以外にも、それぞれに節目があるので、それも考え合わせ、長い目で見てこの旬を生かしてもらいたいと思います。
“私”の視点で「諭達」を拝読し
――2024年の秋季大祭で、真柱様は「三年千日の期間は、動かせていただくことが大切」と強調されました。あと1年のようぼくの通り方について考えを聞かせてください。
まずは、真柱様が大祭でごあいさつに立って、直接声を下さったということを、しっかり受けとめさせていただきたいと思います。
個人で心定めをしている人であれば、完遂すれば大きなご守護や喜びの姿をお見せいただけるということを、よく分かっていると思います。その方々は、いまやるべきことを、とにかくやりきることです。
一方で、この2年間に十分動けなかった人もいると思います。出遅れてしまったと焦る気持ちや、これから何をすべきかと悩むことがあるかもしれませんが、真柱様がようぼくに求めておられることは、「諭達第四号」に示されています。
年祭活動のさなか、それぞれ「諭達」を拝読していると思います。これは以前から言っていることですが、「諭達」を受ける者として、真柱様が「諭達」を通して、“私たち”ではなく、“私”に何を求めておられるのか、という視点をもっていただきたいのです。「諭達」を繰り返し読ませてもらう中で、感じ入る一節があれば、それを素直に実践する。そこには思いきった決心が必要な人もいるだろうし、せめてこのくらいはという人もいるでしょう。
年齢や立場など一人ひとりが置かれている状況は違うので、どう動くべきかは基本的に自分で考えなければいけません。所属教会の会長さんや教友からの勧めや助言、あるいは「ようぼく一斉活動日」に参加する中で得た学びなどをヒントにしながら自分にできることを考え、精いっぱい動くことが大事だと思います。
また昨年、私は三年千日の折り返しに際し、「目標設定の見直し」ということにふれました。
今回の年祭活動では、それぞれに目標を定めて実動していますが、そうした経験のない人も少なくないので、これまでの動きを一度振り返り、後半に向けて「もう少し頑張れるんじゃないか」などと、目標を見直す機会を持ってほしかったのです。
にをいがけやおたすけは、結果がすべてではありません。結果は大切ですが、後から付いてくるものです。まずは、とにかく思いきって声をかける。おさづけを取り次がせてもらう。どうしたらできるか、誰に声をかけようかという状況から一歩進む。そして一生懸命に真実を尽くす。動くというのは、そういうことだと思います。
旬に人を伴っておぢばへ帰ろう
――一層の実動が求められるなか、どんな信仰実践を心すべきでしょうか。
真柱様は昨年の秋季大祭のごあいさつの中で、「年祭の当日、おぢばへ帰ってきてもこなくても、その日をうれしい心で迎えることができるように」とお話しくださいました。年祭当日にどうするというだけではなく、その日をうれしい心で迎えられるように、三年千日をいかに通るかが肝心なのです。
以前は、年祭期間中におぢば帰りをさせてもらおうと、団参を組んで電車やバスをいっぱいにして帰参するという努力が多く見られました。しかし、いまは1日だけですから、どうしても年祭当日に帰ることができないという人もいるでしょう。そうした中で、現在は交通手段も発達しているので、この1年間に、たび重ねておぢば帰りをしていただきたいと思います。
子供の里帰りは、親にとっては何度帰ってきてもうれしいものです。それが親心ですから、私たちも親神様の子供として何度でもおぢばに帰らせていただけば、きっと教祖もお喜びくださると思うのです。
また、この旬には、ぜひ人を伴っておぢばに帰っていただきたいと思います。初めての人に限らなくてもいいと思います。教会につながる方、ご近所さん、しばらく帰っていないようぼくの方がいれば、この機に声をかけ、おぢばにお連れしましょう。
なかには、おぢばから遠く離れて暮らしていて帰るのが難しいという人もあるでしょう。その場合は、「諭達」にも「進んで教会に足を運び」とあるように、積極的に教会に参拝させていただきましょう。
――2024年4月のインタビューで、それぞれの教会の盛り上がりがおぢばの盛り上がりにつながると述べておられます。3年目がそのときに当たるのでしょうか。
三年千日は積み重ねですから、一概にそうとは言えないと思います。
よく1年目をスタート、2年目を中押し、3年目を仕上げといいますが、それはスタートからの日々をしっかり通ることができているからこその話です。3年目にようやく腰が上がった人にとってみれば、仕上げではないでしょう。
いずれにしても、年祭活動の終わりは決まっていますから、教会に勇んだ姿、盛り上がりが表れてくるべきだと思います。年祭の話をする人がたくさん出てきた、団参をさせてもらおうという声が信者さんから上がった、教会でもおさづけを取り次ぐ光景が多く見られるようになったなど、教会での動きが表れてくれば、必然的に次にはご恩報じの動きが表れて、おぢばの活気にもつながります。
年祭活動最後の1年を、皆で声をかけ合い勇ませ合って、年祭当日に向けて一手一つに頑張りましょう。