相手の感情を害さない「言語化」とは – 陽のあたる方へ 9
2025・2/5号を見る
【AI音声対象記事】
スタンダードプランで視聴できます。
昨年発表された、「辞書を編む人が選ぶ『今年の新語2024』」(三省堂主催)で大賞に選ばれたのは「言語化」でした。
辞書で意味を調べると、「折りに触れて心のうちに去来し、曖昧にはとらえられるが、しかしその総体を明確にはとらえがたい模糊とした観念や思考、また湧き上がる自己の感情を、他人にも理解できるように、まとめ、整理し、言葉として表出すること」(『新明解国語辞典』三省堂)とあります。また「近年、気持ちを伝える方策として言葉を取捨選択することや、目標達成のための過程を明確にするために各段階を言葉にすることなどにも言う」とも記されています。
筆者には意外な結果でしたが、経緯を調べてみると納得しました。そもそも言語化とは、心理学や言語学、哲学などで使われる学術用語でした。しかし昨今では、FacebookやLINEなどのSNS、あるいはYouTubeやTikTokなどの動画投稿サイトの爆発的な普及により、以前にも増して気軽に「自分を言葉で表現」できるようになったことで、多くの人々が日常的に「言語化」をする社会になったということです。実際にSNSを見ると、〈うまく言語化できないんだけど〉〈言語化が下手すぎる〉など、「言語化」が頻用されていて、大賞に選ばれるのも納得です。
ところで、「言語化」の目的は自分の感情や思いを相手に伝えることですが、これがなかなか難しい。相手のためを思って口にしたひと言や、自分の気持ちを分かってほしくて口にしたひと言であっても、相手のことを理解せずに発すると、感情を害してしまうことがあります。
では、自分の気持ちや考え、思いを、どう言葉として発したらよいのでしょうか。教祖は「言葉一つが肝心。吐く息引く息一つの加減で内々治まる」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』137「言葉一つ」)と仰せくださっています。
たとえ相手のためを思った言葉だとしても、ひと息ついて相手のことを考えてから発することが大切でしょう。自戒の念も込めて、人に勇気や元気、優しさ、温かさを伝えられる言葉を発していきたいものです。
乾 直樹(京都大学大学院特定教授・大阪分教会正純布教所長後継者)