天理時報オンライン

熱心に布教をする訳は? – 身近で聞いた素朴な問いに WAKUさんがお答えします


紙面レイアウト
2022・9月号を見る
イラスト/なんばなつこ

「先日、天理教の信者という方が『お話を聞いてください』と訪ねてきました。天理教ではなぜ、熱心に布教をするのですか?」と、知人に尋ねられました。

親神様は、子供であるすべての人間が幸せに暮らしてほしいという思いで、この教えを創められました。ですから、世の中のすべての人々に、そのすべを伝えていくのが、天理教の布教です。

天理教のことを知っていただきたい、信仰の喜びを伝えたい、さらには、困っている人にたすかってもらいたいという思いで、信仰する者の“心の匂い”を人々に掛けていくということから、「にをいがけ」と呼んでいます。

また、積極的な活動に限らず、日々の暮らしのなかで、その人の信仰に基づく生き方によって教えの素晴らしさが自然に伝わっていく意味も含まれています。「にをいがけ」は、そんな生き方を通じての信仰実践と言えるでしょう。

持病をたすけていただき、その恩返しの方法を伺った人に対して、教祖は「金や物でないで。救けてもらい嬉しいと思うなら、その喜びで、救けてほしいと願う人を救けに行く事が、一番の御恩返しやから、しっかりおたすけするように」と仰せられました。

また、別の人には「人を救けるのやで」と諭され、その人が「どうしたら人さんが救かりますか」とお尋ねすると、「あんたの救かったことを、人さんに真剣に話さして頂くのやで」と仰せになった、というお話もあります。

私も、親神様のご守護によって日々過ごせていることに感謝し、そのご恩に報いたいと、喜び心をもって「にをいがけ」に励んでいます。時には新たな出会いがあり、これまで分からなかったことに気づくこともあります。自分が成長していくための行いでもありますね。


西村和久(天理教一筋分教会長)


【天理時報特別号2022年9月号】の記事が他にもあります。