「何がなんでも」の心でたすかりを願って – おやさと講演会
2025・6/4号を見る
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教会本部主催の「おやさと講演会」の4回目が5月25日、本部第2食堂で行われた。同講演会は、帰参したようぼく・信者を迎え入れ、講演を心の糧にしてもらうことを目的とするもの。教祖140年祭へ向かう三年千日の“締めくくりの年”に、おぢば帰りを推進する一助として実施されている。直属教会などの団参が相次いだこの日は、全国各地から帰参したようぼく・信者386人が参集するなか、西浦忠一本部員が「教祖にお喜びいただける歩みを」と題して登壇した。ここでは、講演内容を要旨で紹介する。
◎講演要旨
「教祖にお喜びいただける歩みを」
西浦忠一本部員
年祭活動を通るうえで、忘れられない出来事がある。
20年前、私どもの布教地の拠点のボロボロの畳を、ようぼくのKさんが自ら新調してくださった。それは涙が出るほどうれしいことだった。当時の私は、信者さんたちに「教祖が存命であること」「いまは教祖年祭活動のさなかであること」を説いておきながら、自分勝手な人間思案をしていたことに気づき、わが身を省みたばかりであった。そんななか、Kさんが、私が涙を流すほど喜ばせてくれたのに対し、自分はどうだろうと振り返った。「教祖にお喜びいただけるだけの御用ができているのか。ああ、申し訳ない」と思うとともに、教祖が「よくやってくれた」とおっしゃってくださり、こちらがうれしくて涙が出るぐらいつとめさせていただくのが教祖の年祭なんだ、としみじみ思った。
この出来事を通じて、教祖年祭は、たすけ一条の親心にお応えする旬であると肝に銘じさせていただいた。
元一日を知る大切さ
人との出会いは、人の人生を大きく変える。ここに集う私たちは有り難いことに、教祖と出会わせていただいた。親や先祖のおかげで、私たちは教祖と出会えたのである。節を通して教えを聞き分け、私たちの初代や先祖がたすけていただき、教祖からたすけの道がつながってきた。まずは教祖と出会わせていただけたことに感謝し、喜んで通らせていただきたい。
そして、代を重ねる信仰者は、自分の家の信仰の元一日を知ることが大切だ。自らのいんねんを知ることで、「何のための信仰か」を知る。信仰の元一日がなければいまの自分はない。この道は代を重ねて信仰していくことによって本当のたすかりを見せていただけるのである。神様の思いがあって道にお引き寄せいただいた我々は、進むべき道を誤らないよう歩むのが神様の思いではないだろうか。
本教の立教の本旨は、「世界一れつをたすけたい」である。立教に始まり、教祖のひながた、教祖年祭の元一日、そして存命の理をもってお導きくださる、そこに一貫しているのは「一れつ子供をたすけてやりたい」という、たすけ一条の親心である。教祖は、おつとめやおさづけといった、たすけの具体的な方法を教えてくださった。何よりも有り難く、心強いのは、教祖が存命でお働きくださること。いかに立派な教えと素晴らしいひながたがあっても、それを守り、歩んでいこうとしなければ、ないに等しいのである。
「諭達第四号」に「この教祖の親心にお応えすべく、よふぼく一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖年祭を勤める意義である」とお示しくださる通りに、成人の歩みを進めよう。
ご恩報じを胸に治め
私たちが教えていただくのは、ご恩報じである。恩に報いるとは、自分にとって良いことをしてくれた相手に感謝し、それにふさわしい行為をして恩を返すということ。感謝から一歩進んで何かをさせていただくことが大切だと思う。
教祖140年祭を目指して動くための原動力は、ご恩を頂いていることへの感謝の思いである。生かされて生きている、息一つをさせていただける、身上・事情をたすけていただいたというご恩。皆、それぞれに信仰の元一日がある。そうしたご恩に報いるべく、教祖の道具衆として人だすけのうえに精いっぱい動く。それが、教祖にお喜びいただける確かな道である。
ご恩報じの最たるものは、おたすけである。おたすけの心で周囲を見渡したら、悩み苦しんでいる人がいるだろう。その人のたすかりを願い、「何がなんでも」の心で相手と向き合わせていただこう。
年祭へ向かう三年千日は、親神様がお与えくだされた成人の旬である。この年祭活動を「わが事」として捉え、是が非でも通りきろうと心を仕切って臨むことが大切である。この旬に蒔いた種、尽くした理は必ず成人の実としてご守護につながってくるから、旬を外してはいけない。
教祖140年祭まで残り8カ月。ご恩報じを胸に治めて、自分にできる精いっぱいの御用に励ませていただくとともに、ともどもに陽気ぐらしの実践、成人の歩みを進め、教祖にお喜びいただける道、たすけ一条の道を歩ませていただこう。