京都の裏表 – 世相の奥
2025・6/11号を見る
【AI音声対象記事】
スタンダードプランで視聴できます。
京都人の言葉づかいには裏があると、よく言われる。表面的に相手をほめても、内心はべつ。本音では見下すケースが、しばしばある。それが京都人像の通り相場となっている。
京都の近郊で長年くらしてきた私にも、その実感はある。たしかに、ほめ殺しめいた言いまわしと遭遇する機会は多いなと、感じる。
時間にルーズな部下へ、上司がかける言葉は、たとえばこうなる。「君、ええ時計もってるみたいやな」。この言い方は、いちおう、部下の持ち物をほめている。しかし、その内実は、時間の約束がまもれないことをとがめる、逆説的な叱責にほかならない。
職場の会議で場ちがいな発言をくりかえすスタッフは、こう言われるだろうか。「君の提案は、いつもおもしろいね」。悪意がふくまれるかどうかは、発言者の声色で聞きとらなければならない。あるいは、表情でおしはかる手もある。いずれにせよ、判断はむずかしい。
否定的な底意に気づくと、やはり言われた側は傷つく。ほめ言葉でできた皮肉を聞かされるより、はっきり批判されるほうが、よほど精神衛生にはいい。こちらに落ち度があるのだから、かざらぬ非難をぶつけてくれ。そう感じさせられたことも、一度や二度ではない。
ただ、京都風のこういう言いまわしは、ハラスメントにならないという。自分は、あのほめ殺しで心がいたんだとうったえでても、まずはねつけられる。私は懇意にしている弁護士から、そうつげられた。
ある発言がハラスメントにあたるかどうかは、文字におこされた記録から判定する。書類をとおして検討するのが常である。そして、書面にならんだ文字は、基本的に相手をほめている。いい時計だね。いつもおもしろいよ。そうもちあげている。悪意はくみとれないという。
また、書面化された文章は、発話者の声色や表情をつたえない。京都流の皮肉を読みとれるかもしれない部分が、あらかじめとりのぞかれている。
かりに、京都の法廷が「ええ時計」をハラスメントと認定すれば、どうなるか。それは、秋田や大分でも参照すべき判例になってしまう。こういう事態はさけなければならない。京都でしか悪意をしめせない物言いは、全国共通のハラスメント例たりえないようである。
井上章一・国際日本文化研究センター所長