雨音に耳を澄ましながら 教祖をお慕いする人々の思い – 逸話の季
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梅雨入りし、本格的に雨の降る日が続いています。早朝の鳥の声は聞こえませんが、かわりに耳に届く静かな雨音に心が癒やされます。灰色に染まる空の色が決して不快ではなく、むしろ心地良く感じられるのは、しばらく不調だった体調が良くなったからでしょうか。やはり世界は、見る人の気持ち次第で、その相貌を変えるようです。
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明治15年6月18日(陰暦5月3日)、教祖は松村さくの見舞いのために赤衣を召して人力車に乗り、国分街道を通って河内国教興寺村の松村栄治郎宅へ出かけられ、三日間の滞在中にさくをみずから手厚くお世話されます。この間、教祖の訪問を伝え聞いた信者たちが大勢集まり、柏原警察分署から巡査が出張して門の閉鎖を命じますが、参集する人々は止まりません。教祖は「出て来る者を、何んぼ止めても止まらぬ。ここは、詣り場所になる」と仰せられました。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』「一〇二 私が見舞いに」
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門を閉鎖して、立ち番をしていても次々に人々が参集した逸話からは、この当時の河内地域の人々の信仰の熱を感じます。明治15年3月改めの講社名簿によれば、すでに神清組(教興寺村)を含む「大和国五、河内国十、大阪四、堺二の講社」が結ばれていました(『稿本天理教教祖伝』第九章「御苦労」)。現在でも、このとき教祖が通られた道沿いには、いくつも大教会が連なっています。かつて筆者がこの道を歩いたとき、赤衣の教祖を乗せた人力車が多くの人々に迎えられ、颯爽と進む姿を思い浮かべて何とも言えない感銘を受けました。
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梅雨空の下を教祖殿へ足を運び、静かに礼拝すると、教祖のお姿を慕って参集する人々の思いは、現在の信仰者にもそのまま継承されていると感じます。人生の苦難や体の不調は、たとえ身近な人々の出来事や自分の体であっても思うようにはなりません。ましてや紛争や不安定な政治・経済の動向といった世界の先行きについては、さらに小さな自分の無力さを痛感します。だからこそ、いつの時代にも人は、教祖のお姿を慕い求めるのでしょう。
文=岡田正彦